「真女神転生4FINAL」の世界観と一神教と多神教 まとめ

公式サイトで連載されているブログなんですが、ゲームをする前に読んでみると一神教と多神教について深く知ることが出来ると思うのでまとめてみました、それにしてもただのゲームかと思ったら....「深い!!深すぎる!!」

zero9zero さん

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真・女神転生IV FINAL(ファイナル)

塩田信之の真4Fと神話世界への旅

こんにちは、塩田信之です。毎週、『真・女神転生IV FINAL』に関係するふたつのキーワードをとりあげ、そのルーツや現代に及ぼしている要素などを深く掘り下げていくことで、『真・女神転生IV FINAL』の面白さを解読していきます。開発スタッフの談話や制作メモなどから、シナリオや設定にまつわるさまざまなこぼれ話も紹介する予定です。

第1回 一神教と多神教

天使と悪魔が対立するようになったわけ


前作『真・女神転生IV』は、天使と悪魔の対立に主人公が巻き込まれる形で物語が進行しました。しかし、そもそも天使と悪魔はどうして対立していたのでしょう。それは天使と悪魔という存在自体が、そもそも対立しているものとして人類の長い歴史に語り継がれてきたからです。
天使と悪魔が対立するという考え方は、基本的にはキリスト教的な概念として広く知られています。実際には、必ずしもキリスト教に限った話ではありませんし、「天使」はともかく「悪魔」という言葉は仏教用語にもありますし、悪人を「悪魔のような」と比喩表現に使ったりするように日常的に使われる一般名詞になっているのですから、日本人は特に悪魔と聞いて「キリスト教における悪魔」を思い浮かべる人は少ないかもしれません。『真・女神転生』シリーズにおいて「悪魔」という言葉にはさらに広い意味が含まれていて、神や天使も「悪魔」と呼んでいるわけですが、ここでは話がややこしくなってしまうのでキリスト教的な「天使と悪魔」に絞って話を進めます。

キリスト教的な「天使と悪魔」は、まず「神と人間」の関係が中心にあって、そこに関与する形で加わってくることになります。人間は神によって創造され、「神の教え」を守っていくことで守護されたり死後天国に行けることになっています。この「神の教え」というのが重要で、基本はいわゆる「モーセの十戒」と呼ばれているものですが、「姦淫することなかれ」とか「嘘をつくな」とか道徳教育的な、人の生きる上でのルールになっています。神を信じるということは、ルールを守って正しく生きていけば、死んだときに天国に入れてあげるという「契約」を神と交わしたことになるわけです。
さてここで登場するのが悪魔という存在で、悪魔は神に敵対しているため、人間が神との契約を履行できないよう邪魔をします。人間を「誘惑」して、契約に反した不道徳な行為をさせようとするわけです。象徴的な出来事として、「エデン」にいた最初の人間「アダムとイヴ」のイヴに、禁じられていた「知恵の実」を食べるよう蛇がそそのかしたという出来事があります。蛇が悪魔の化身で、アダムとイヴは契約不履行のため楽園を追放されてしまったわけです。

「天使」は当初「神のお告げ」をもたらすなど、神と人間の仲立ちをする存在でしたが、「悪魔」の概念が発達するのにともない設定が肉付けされていくことになります。悪いことをした人間が、契約不履行を避けるため「悪魔にそそのかされた」と言い訳したりするのですが、聖職に就いているような人が誘惑に負けた際には体裁を繕うため「悪魔がすごいヤツだった」と言ったりして、どんどん強い悪魔が誕生してしまうわけです。そんな悪魔に対抗する「神の力」という性質が「天使」に加わり、『聖書』の「黙示録」に記された「天使と悪魔の戦い」に繋がっていくことになるわけです。
こうした考え方が世界三大宗教であるキリスト教で広まっていき、「天使と悪魔」は対立する存在として広く認識されるようになりました。

宗教間対立の元になった神との契約

ところで、神が世界すべてを造ったとするならば、どうしてわざわざ対立する「悪魔」などという存在も造ったのでしょうか。一種の矛盾ともいえそうなこの問いに、神を信じる人々はさまざまな理由を考えています。そのうちのひとつが、強い力を持つ天使が野心を持ったため神に罰せられ「堕天使」となり、それが悪魔となったというものです。「にわとりが先か、卵が先か」みたいなことにもなりかねない、後付け感の強い設定ではあるのですが、そこから大天使ミカエルと悪魔ルシファーがもともとは兄弟だったといった魅力的な話に発展していくことで説として支持を集めていったものと思われます。
ともあれ、天使も悪魔も神によって造られた存在ということになるわけですが、これこそ「一神教」らしい考え方といえます。神(唯一神)こそが絶対的で、並び立つものはいてはならないのです。

「モーセの十戒」も、最初のひとつめが「神は唯一で、他の神などあってはならない」というもので、契約したものは他の神(宗教)の存在自体を認めないという立場になります。これが契約の第一項なのですから、一神教を信じるものは唯一神を信じないほかの宗教とは対立が運命づけられてしまっているわけです。人間の長い歴史において宗教的な対立から戦争になることが多いのも当たり前といえそうですが、もっとも対立の激しいキリスト教とイスラム教は、信奉する神が同一であるため、ここまでの流れで語ってきた宗教的対立ではなく、広い視野で見れば内部抗争みたいなものだったりするのですからおかしな話です。

だいぶ回りくどい話になりましたが、これでようやく「一神教」と「多神教」が対立しているという話になります。
 それぞれ激しく対立しているのですが、キリスト教とイスラム教、そしてユダヤ教は信奉する神はまったく同じものです。『旧約聖書』に描かれている、神と最初に契約を交わしたアブラハムは共通の始祖ですし、モーセの十戒はある意味形骸化していたりもしますが、それぞれの宗教において共通の基礎ルールとして今も生きています。これらの宗教は総称として「一神教」と呼ばれ、他の宗教とは相容れない立場になります。他の宗教は仏教にしろヒンドゥー教にしろ、多くが「多神教」であるため、「一神教」と「多神教」は根本的に対立する立場にあるというわけです。『真・女神転生IV FINAL』は、そんな思想的背景の上に成り立つ物語となっているのです。

多神教から生まれた一神教

実のところ、一神教が他の宗教を認めないというのはその出自に理由が求められます。歴史的に見れば一神教は新しい宗教で、元をたどれば多神教から生まれたものといえます。
キリスト教とイスラム教はユダヤ教から派生したもの、といえますが、そのユダヤ教は古代ペルシアの「ゾロアスター教」に強く影響を受けて生まれたものとされています。ゾロアスター教は善神アフラ・マズダーと悪神アンリ・マンユの善悪二神の対立に象徴される善悪二元論を基本としていますが、原初の形態の一神教と考えられています。アンリ・マンユはアフラ・マズダーの一部が分離したものという考え方で、元々多神教的にさまざまな役割を持つ神々がいましたが、それらを「天使」としてアフラ・マズダーに帰属させることで「一神教」としての体裁を固めていったものと思われます。

ゾロアスター教の成立する以前のペルシアは、同一民族を祖にし歴史的な対立も含めて関係性の深いインドの宗教(ヴェーダ教や、後のヒンドゥー教)とよく似た多神教を信奉していました。ペルシアの宗教とインドの宗教は、まるで鏡のように逆転した関係にあります。ペルシアの善神アフラは、インドでは悪鬼アシュラと考えられていましたし、ペルシアの悪魔の総称であるダエーワは、インドの神々デーヴァのことを指しています。ゾロアスター教は、多神教から一神教への大変革を遂げた当時の新興宗教だったわけです。
多神教から一神教へ変化しようとする動きは、ペルシアに限らず世界の各地で起こっています。例えばインドでもヴェーダ教からヒンドゥー教へと変わっていく中、ヴィシュヌやシヴァといった強い神格に信仰対象を集約していきました。ヴィシュヌが、クリシュナやラーマ、ナラシンハ、そして仏陀といったそれぞれ人気のあった存在を吸収しヴィシュヌの化身だったとしたことは唯一神化のあらわれといってもいいでしょう。

多神教から一神教へと変革していったことは、世界が時代によって変化していくことに対応する必然的な変化だったのかもしれません。多神教はもともと、社会が未発達で原始的な状態に発生したものと考えられます。狩猟や採集で食料を賄っていた時代は、日によって収穫の差も大きく神や精霊に安定供給を願ったでしょうし、巨大な獲物を含めた驚異的な動物や自然現象を恐れ鎮めるために祈ることから原初の宗教が生まれたものと考えられます。農耕が始まった後も、水害などの天災は怒れる神の行いと考え恐ろしい雷神や、収穫をもたらす日光を神聖視した太陽神などが想像されていったことは間違いないでしょう。

そんな風に長い年月をかけて作られていった多神教文化は、文明の発達とともに意味が薄れていきます。かつて脅威だった水害も、灌漑が進めば被害の減少とともに雷神を恐れない世代が生まれることで信仰が失われていったことでしょう。また、宗教として強い求心力を保つために信仰対象を一本化することも効果的です。さまざまな地域の神話世界で改革は行われ、古くは神々の中心的存在であった雷神が太陽神に立場を奪われたり、太陽神が他神格と比べて圧倒的な力を持つ存在としてクローズアップされる傾向が見られます。

『旧約聖書』には、古代の四大文明でもっとも古いとされるメソポタミア文明に含まれるシュメール文明やバビロニア、アッシリア等、現在のシリアやイラクあたりの多神教文化から取り入れた要素が数多く見られます。例えば「ノアの方舟」の元になった洪水物語がシュメール王を主人公とした『ギルガメシュ叙事詩』にあったり、神が天地創造の5日目に造った竜の怪物レヴィアタンはメソポタミア一帯で広く信仰されていた雷神バアルの退治する竜リタンが元になっていることなどが挙げられますが、バアルは聖書の中で邪教の崇める対象に貶められておりその地域での宗教的対立関係が反映されていると思われるところも興味深い要素です。
 信仰対象を唯一神に一本化したら、ほかの神格は吸収するか悪魔とみなして対立することになるのですから、「一神教と多神教」の対立構造というものは「天使と悪魔」の対立よりもよほど根深いものということが理解できます。

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