現代社会は自由を求めてきた。その結果,個人の自由が拡大した一方で,自己を含めてあらゆる事柄の意味があいまいになったり,価値を見失い,アイデンティティーを失った。
若者言葉の議論が高尚すぎて、こちらが申し訳なくなってくる
もう日常会話で受け入れられた感のある「短縮言葉」や「ら抜き言葉」。その成り立ちや異議についての議論が真面目すぎて、使っているこちらが恥ずかしくて申し訳ない感じになってきます。
現代はあらゆる面でスピードを求められる。そのような中で若者は,話し方自体を速くするだけではなく,言葉を縮めて,会話促進のために言葉の省略が進んだ。
出典 『若者ことばをフィールドワークする』 瀬沼文彰 著
少子化が進行するにつれ、兄弟や、地域の友達が減る中で、若者言葉が 「 仲間を示すコミュニケーションツール 」 として、活用される実情もある。
・緩衝(~的な・~みたいな、のようなはっきりと断言しないぼかし言葉)
・娯楽(純粋な笑いを生む効果、流行の一発ギャグなど)
・連帯(仲間内だけで通じる言葉、連帯感を強める効果)
・隠蔽(連帯とほぼ同様)
・イメージ伝達(イメージを言葉として伝える効果、プリンなど)
・会話促進(KYなどの言葉の略、会話のテンポを良くする)
出典 米川明彦氏の定義
内向的にみえる 「 引きこもり族 」 も、どこかに友達や、理解し合える心の拠り所を求めるから、「 オタク語 」 を発信し合っているように思う。
対人能力が低く、コミュニケーションが苦手な人々も、だからといって友達が欲しくないわけではなくて、むしろ、誰よりも仲間を求めている。
本多勝一『日本語の作文技術』によると、彼の故郷の長野県伊那谷では、 「ら抜き言葉」こそが正しい日本語で、 可能の意味での「見られる」「食べられる」は、 いわば「ら入り言葉」として非難されるといいます。
出典 「ら抜き言葉」擁護論
私の仮説はこうだ。「られる動詞」から「ら」の文字を抜いたのではなく、可能の意味を持たない普通の動詞に「得る(eru)」を追加して可能を表せるようにしたもの、つまり、一般動詞を可能動詞に変換したもの
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