李氏朝鮮時代の妓生は女楽のほかに宮中での医療を行い、衣服の縫製もしたので、薬房妓生、尚房妓生という名称も生まれている[16]。妓生は、官に属する官妓 (妓女・ソウルに仕える宮妓と地方の郷妓に分かれる) と、私有物である妓生が存在したが、大半は官妓だったようである。妓生になる女性のほとんどは奴婢であるが、実家の没落・一家離散または孤児となったり、身を持ち崩すなどした両班の娘などが妓生になる場合も多かった。李氏朝鮮の妓生は高麗女楽をルーツにしており、宮中での宴会に用いる為の官妓を置き、それを管理するための役所妓生庁が存在した。一般的に、妓生は両班を相手とするため、歌舞音曲・学問・詩歌・鍼灸などに通じている必要があった。また、華麗な衣服や豪華な装飾品の着用が許され、他国の高級娼婦と同様に服飾の流行を先導する役目もし