妓生制存廃論争

1392年に李氏朝鮮が成立し、1410年には妓生廃止論がおこるが、反対論のなかには妓生制度を廃止すると官吏が一般家庭の女子を犯すことになるとの危惧が出された[1]。山下英愛はこの妓生制度存廃論争をみても、「その性的役割がうかがえる」とのべている[1]。4代国王世宗のときにも妓生廃止論がおこるが、臣下が妓生を廃止すると奉使 (官吏) が人妻を奪取し犯罪に走ると反論し、世宗はこれを認め「奉使は妓をもって楽となす」として妓生制度を公認した[17]。
妓生庁
平壌にあった妓生学校

李氏朝鮮政府は妓生庁を設置し、またソウルと平壌に妓生学校を設立し、15歳〜20歳の女子に妓生の育成を行った[11]。