高麗時代 (918年-1392年) に、中国の妓女制度が伝わり朝鮮の妓生制度になった[1][14]。
官妓 (女官)・官婢の中で容姿の優れた者を選別し、歌舞を習わせ女楽 (高麗女楽) とした。高麗は政府直属の掌学院[11]を設立し、官妓らはそこに登録され、歌舞や医療などの技芸を担当した。
辺境軍人の慰安婦として
掌学院に登録された妓生は次第に官僚や辺境の軍人への性的奉仕も兼ねるようになった[1][2]。
李朝時代にも妓生は国境守備将兵の慰安婦としても活用され、国境の六ヶ所の「鎮」や、女真族の出没する白頭山付近の四ヶ所の邑に派遣され、将兵の裁縫や酒食の相手や夜伽をし、士気を鼓舞した[15]。