答えはシンプルでしたが当時の私は愛されているのに愛されていないと信じていなかったのです。他者、誰をみても愛されているととれるのに肝心の自分自身はたくさんの人が周囲に取り巻いているというのに愛されているという実感が湧いていないこともあったのです。そのときの私は自らの命を自身で奪うという不安定なイメージさえ時折もっていたのでした。

私の心の飢餓は確かに存在していたのです。ヴィパッサナー瞑想の教えで言われる「渇望と嫌悪」というものでした。