秀吉に遊里開設を許された林又一郎は、戦国浪人で、はじめ秀吉の馬廻りとして仕えていた人物だった。彼は秀吉の没後、寛文年間に大坂の新町遊廓に妓楼・扇屋を開くと、京都の花柳だけでなく、大阪にも遊女をかかえ、後に東京の吉原にも遊郭を構えるようになる。この扇屋は以後この又一郎の子孫代々がその経営にあたって幕末まで続いた。