日本の人身売買は、一方の行き先が遊女であり、もう一方の行き先が海外へ密輸された奴隷だった。

江戸時代、幕府は人身売買を禁じまた。だが、年貢上納のための娘の身売りは認め、性奴隷である遊女奉公が広がった。また、前借金に縛られ人身の拘束を受けて労働や家事に従事する年季奉公制度が確立していく。

日本の商人は、国外から付加価値のあるものを輸入し、日本国内で売りさばき、代価として、古くは、銀や銅、工芸品、さもなくば人間そのものを輸出していた。後に、生糸や茶が輸出されるようになり、昆布や海苔といった海草類などが輸出されるようになっていくが、やはり奴隷は重要な交易品目だった。