公には禁止されながらも、日本の輸出品目には常に多数の奴隷が含まれていた。南蛮貿易が始まり、火薬が輸入されるようになると、奴隷の輸出が加速した。

16世紀の後半には、ポルトガル本国や南米アルゼンチンにまでも日本人は送られるようになった。1582年ローマに派遣された少年使節団の一行は、世界各地であまりに多数の日本人が奴隷の身分に置かれている事実を目撃して驚いたことを報告している。

安土桃山時代には、日本の商人はフィリピンや東南アジアまで活動域を広げていた。だが、インド洋を自由に交易していたイスラム商人や後からやってきたヨーロッパ人と比べれば、ビジネスの規模はずっと小さいままだった。

戦国の混乱が終わり、社会情勢が安定になった江戸時代、幕府は実質的に収量の40%、他のアジア諸国と比べて格段に高い年貢を納めさせていた。それでも国外に輸出できたわけではなかった。結局、日本は管理できる余剰の生産力を持っていなかった。