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マジ? ビールは紀元前〇〇〇〇年から飲まれていた!?【アメリカ編】
日々の生活にかかせない癒しアイテム、ビール。
その起源は驚くほど古かったのをご存知でしたか?
アメリカの歴史は大きく分けて、ラテンアメリカ地域、北アメリカ地域の2つの地域で構成されています。ラテンアメリカでのビールの歴史は古く、メソポタミアよりも古いのではないかとも言われますが、北アメリカにビールが伝わったのは17世紀以降です。南と北でビールがどのように伝わり進化していったのか見ていきましょう。
ラテンアメリカでは、メソポタミアよりも古くからビール作りが行われていたのではないか、という説があります。厳密にいつからビール作りが行われたかということについては諸説がありますが、1万年前に南米のアマゾン地区で行われたのではないかとも考えられています。
その理由として、この頃に発酵成分を持った「マニオク」というイモの一種の栽培が始まっていたらしいと推測されており、これが正しければ、酒(ビール)作りが行われてもおかしくないからです。
ラテンアメリカでの伝統的な発酵酒は総じて「チチャ」と呼ばれています。
「チチャ」はトウモロコシを元に作られ、ラテンアメリカでは聖なるビールの代表的なものとされ、アンデスのほぼ全域、アマゾン流域とその他地域まで、広く飲まれています。もうひとつ、芋の粉から作られる「マサト」という酒が主にアマゾン流域とその周辺で作られています。
さて「チチャ」についてですが、材料はトウモロコシやキヌアというアカザ科の植物が代表的ですが、地域によってレシピにはさまざまなものがあると言われています。一説には、一緒に混ぜる殻粒の焦がし具合を変えることで、淡い色から濃い色まで多様な色のもの飲まれているとされ、この点は今のビール作りに通じているところがあるように思います。
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「チチャ」は「アカ・チチャ」とも呼ばれ、紀元前2000年頃からメキシコからラテンアメリカ一帯で飲まれていました。もともとは、粉にしてこねた穀物を口内に含んで唾液を混ぜ、その発酵作用を利用して作る口噛み酒です。トウモロコシを元に作られることが多いようですが、地域によってキヌアというアカザ科の植物やマニオク(キャッサバ)などのイモ類が用いられ、どの段階で唾液を加えるのかも含めて、様々なレシピがあります。
アマゾン流域にも様々な「チチャ」があります。ある地域のインディオたちはパイナップルを発酵させたチチャを飲んでいます。これは「パイナップルのビール」とも呼べるものです。パイナップルの果実をすりおろし、カメに入れて数日放置しておくと、パイナップル自体の糖分によって自然発酵します。また、アマゾン流域に広く群生する「ププニャ」というヤシの一種もチチャ作りに用いられました。この「ププニャ」は季節もので、普段はマニオクのチチャを飲んでいるのですが、ププニャの実る時期だけ原料に使われます。この他にもアマゾン流域各地には様々なレシピがあり、現代に至るまで各地域ごとに連綿と受け継がれていきます。
アンデス地域ではトウモロコシを用いたチチャが広く根付いていました。トウモロコシを噛み、これを煮込んで発酵させたのです。もうひとつ、アンデス原産の「キヌア」を使った酒は、キヌアの実を挽いて粉にし、これを口に含んで唾液をまぶし、団子を作って放置、発酵させました。
1500年代にペルーに栄えたインカ帝国でも、チチャは神に捧げる聖なるビールでした。この聖なるチチャを作るのは、王に仕えるために国中から集められた選りすぐりの美しく健康な少女たちで、チチャの作り方や行儀作法・宗教などを教えられます。この聖少女たちは「アクヤクーナ(太陽の乙女たち)」と呼ばれ、首都クスコの「●●の館」で太陽神に捧げる聖酒チチャを作りました。チチャは祭や儀式の際には欠かせない大切な酒だったのです。こうして作られたチチャは、インカ最大の祭り「太陽の祭典」でも神に捧げられます。飲む時の最初の数滴を女神ママ・サラへの捧げ物として地面にかける習慣があったそうです。このほか、チチャは太陽の恵みを受けて耕作するインディオたちにふるまわれ、インカの人々にとっても非常に大切な飲み物でした。
アマゾン、アンデスを主として、チチャはラテンアメリカのほぼ全域で口噛み酒として定着していました。一方で、トウモロコシを発芽させて発酵させる方法が見られたのはアンデス地域の一部と言われており、比較的新しい作り方のようです。これには植民してきたスペインをはじめとするヨーロッパ人との接触による影響もあるのではないかと考えられています。
チチャは、インカ帝国などの文明がヨーロッパ諸国によって滅ぼされた後も作られ続け、19世紀には商業的にも醸造されるようになります(ただし、口噛みではありません)。
アステカ文明のテオティワカンは、広さおよそ20平方キロメートルの都市で、水や農業の神さまを信仰する宗教の都として紀元前後(およそ2000年前)から7世紀にかけて栄えました。人口はもっとも多いときは10万~20万人もいたといわれ、当時のアメリカ大陸では随一の規模を誇っていましたし、全世界でも指折りの大都市でした。「テオティワカン」というのはアステカの言葉で、「神々の座・神さまがつくった都」という意味があり、「太陽のピラミッド」や「月のピラミッド」という、神を奉る神殿の「台座」が現在でも残されています。
アステカ族も「チチャ(アカ・チチャ)」を飲みましたが、アステカ族は酔うという状態を「神や霊魂がもたらすもの」と考えました。そのために“酔うこと”は神の思し召しと考えられ、ビールに酔った人は社会的にも個人的にも、いかなる束縛も受けませんでした。同時にアステカ族は多くのビール神を崇めていました。神々の長である「オメトクトリ」、ビールに酔った人(センデホ)を事故死から守る「テクェクメカウイアニ」、酔っ払い刑罰を与える「テートラヒュイアニ」などです。「クァトラパンキ」「パパスタック」という二日酔いの神様もいたようです。
もうひとつ、チチャと並んでアステカ文明において重要だったのが、「プルケ」と呼ばれる酒です。メキシコ地域で作られた酒で、リュウゼツランの一種である「マゲイ」という植物から作られていました。この「マゲイ」は茎を切ると甘い蜜が出てきます。この蜂蜜のような汁を蓄えて発酵させて、プルケを作ったのです。この「プルケ」は古い記録によるとカメの中で泡だっているように描かれているので、アステカのビールとも呼べそうです。やはり神への捧げものとして大変重要なものでした。
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