アステカ文明のテオティワカンは、広さおよそ20平方キロメートルの都市で、水や農業の神さまを信仰する宗教の都として紀元前後(およそ2000年前)から7世紀にかけて栄えました。人口はもっとも多いときは10万~20万人もいたといわれ、当時のアメリカ大陸では随一の規模を誇っていましたし、全世界でも指折りの大都市でした。「テオティワカン」というのはアステカの言葉で、「神々の座・神さまがつくった都」という意味があり、「太陽のピラミッド」や「月のピラミッド」という、神を奉る神殿の「台座」が現在でも残されています。

アステカ族も「チチャ(アカ・チチャ)」を飲みましたが、アステカ族は酔うという状態を「神や霊魂がもたらすもの」と考えました。そのために“酔うこと”は神の思し召しと考えられ、ビールに酔った人は社会的にも個人的にも、いかなる束縛も受けませんでした。同時にアステカ族は多くのビール神を崇めていました。神々の長である「オメトクトリ」、ビールに酔った人(センデホ)を事故死から守る「テクェクメカウイアニ」、酔っ払い刑罰を与える「テートラヒュイアニ」などです。「クァトラパンキ」「パパスタック」という二日酔いの神様もいたようです。

もうひとつ、チチャと並んでアステカ文明において重要だったのが、「プルケ」と呼ばれる酒です。メキシコ地域で作られた酒で、リュウゼツランの一種である「マゲイ」という植物から作られていました。この「マゲイ」は茎を切ると甘い蜜が出てきます。この蜂蜜のような汁を蓄えて発酵させて、プルケを作ったのです。この「プルケ」は古い記録によるとカメの中で泡だっているように描かれているので、アステカのビールとも呼べそうです。やはり神への捧げものとして大変重要なものでした。