【ビートたけし】北野武「笑いの作り方」【北野武】

北野武(1947年1月18日生まれ)、職業・芸人

ZZ92 さん

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お笑いの世界ではエンタツ・アチャコだね。なんといっても近代漫才の祖だから。ステージに燕尾服着て現れて、完全に話だけの漫才をやったのは、あの人たちが初めてだもの。

出典 おまえの不幸には、訳がある!―たけしの上級賢者学講座

お笑いで地位を登りつめたって意味では、横山ノックも入れたい。お笑いで知事にまでなって、セクハラでクビ。もうお笑いの王道そのもの。

出典 おまえの不幸には、訳がある!―たけしの上級賢者学講座

芸人というのは、全体主義とか社会主義とか、社会の規制が厳しくなればなるほど、価値のある凄いのが出てくる。ヒトラー時代のドイツやスターリン時代のソ連もいろんな画家や小説家が出てきたしね。 要は自由な社会っていうのは、芸人や芸術はいらないわけだよ。何でも解禁の社会だったら、ストリップもヘアーヌードも面白くもなんともないもの。 そんな完全に自由な世の中なんてありっこないから、芸人は不滅なんだ。

出典 悪口の技術

立派な師匠っていうのは、何百人もの弟子をみんな食わせた。芸人としてはやっていけないような奴まで食わせてる。そういう師匠は、やっぱり凄いと思うんだ。

出典 悪口の技術

昔の漫才師なんてクズの集まりであってさ、「漫才師になりたい」っていうだけで世間から白い目で見られたし、そういう本人は顔が他人に笑われるほど悪くて家が貧乏に決まっていたもんだ。どうしようもない不細工で、貧乏だから上の学校にはいけない、で、あっちこっち流れ歩いて、しょうがねえから漫才師にでもなるかっていう程度だった。(略) それが(略)漫才ブームで大きな進化を遂げて、お笑いタレントが金をどんどん稼ぐようになり、若い連中が漫才を含めたお笑い芸人を目指し始めちゃった。奇妙な顔でアホなこといって笑われるパターンから、客を引っ張り回して笑わせるってパターンへと技術の革新が一気に進んだってこと。 要するに、金になる芸とならない芸とでは、進化のスピードに大きな差があるってことだね。

出典 こんな時代に誰がした!

お笑い芸人だって客を笑わせられなくなったから辞めるんであって、笑わせる意欲がなくなったから辞めるってことはない。だから、引退したら復帰の目はあらかじめ絶たれているんだよ。

出典 こんな時代に誰がした!

芸人ってのはおかしなもんで、客がいいと実力以上の芸を見せたりできるんだよ。逆にいうと、寄席の出番が2,3番目だと、客のお目当てはずっと後から出るやすし・きよしだ仁鶴だってことで、2番目の芸人なんて、「なんだよ、こいつは」って目でいるから、それをひっくり返して笑わせるってのはそりゃもう大変なパワーがいる。 よくない客相手にはいい芸が見せられないんだ。

出典 こんな時代に誰がした!

この間大阪の落語家がアル中で死んじゃったでしょ。客にウケなくても評論家なんかに、「あいつの生活はだらしなくて、本当の落語家だった」っていわれたりして、死ぬところまで突っ込んでいっちゃう。必然的にそうなったんじゃなくて、形から入って突き詰めると目も当てられないことになる。 芸人ってのは酒飲んで女はべらしてるもんだと思うやつが多いんだ。その形じゃなくて、必然的にしょうがなくてそうなっちゃうってのじゃないとね。

出典 こんな時代に誰がした!

昔、オレがよく客前でチンポをなぜ出したかっていうと、最低になるためなんだ。最低にならないと駄目。気取りを全部剥いじゃう。 そうすると、完全にパニックになるわけじゃないけど、神経ビリビリして、片っ方の神経は逆に醒めるっていう妙なバランスなんだ。役者もそうだと思うけど、客もノッて自分もノッてはいても、それを見ているもう一個の目がないと駄目なんだ。 そういう訓練というか持って生まれたものというか、それがないといい芸人にはなれないかもしれない。まあ、鈍感なやつは何をやっても駄目だけど。

出典 こんな時代に誰がした!

「芸人は親の死に目に会えない」って決まり文句があるけどさ、会いに行かないタイプのやつが芸人やるんだよ。「死に目に会えないけど、芸のほうが大切だ」なんて無理してやっているわけじゃなくて、それがすんなりできるやつらが芸人になってる。 「親父が死んだよ」っていわれてガーンと来ても、漫才がちゃんとできちゃって、終わってから、「じゃあ、死に顔でも見に行くか」と思っても、「ちょっと待て、死んじゃってから行ってもしょうがないか」って思えちゃう性格、そういう性質じゃないやつは芸人をやらないほうがいい。

出典 こんな時代に誰がした!

日本では隠し芸って言葉があるようにメインの表芸はひとつじゃないといけないんだ。数多くの芸を売り物にしているやつは認められにくい。この道ひと筋ってのが大切にされるから。 オレなんかは、漫才に始まっていろんなことに手を出してるから、芸人としての価値が低いんだ。変なやつ、珍種って扱いで受けてるだけだもん。(略)でもさ、オレはいろいろ手を出すやり方を改める気はさらさらないね。お笑いって芸は、人間と世界の森羅万象を相手にするんだから、手の出しすぎってことはないんだ。

出典 こんな時代に誰がした!

おいら、「どういう芸人になりたいか」って聞かれれば、ご飯みたいな芸人になりたいって答える。 みんな夢中になってくれなくていいから、そこに出てるだけでいい。オカズはすぐに飽きられるけど、ご飯は飽きられない。どんなオカズが来てもご飯は必ず要る。テレビタレントとしては、そういうのがいいって思ってる。

出典 悪口の技術

たいていの人は「統治する人」と「統治される人」に人間を分ける。 だけどおいらに言わせれば、もう一つ「芸人」っていうのがあるんだよね。実はこれが一番強烈なんだ。 昔からどんな集落でも村でも、親分がいれば、必ずそれを楽しませる奴がいた。 村人たちが酷い搾取を受けてる時でも、芸人たちは親分に守られて、食いっぱぐれることはない。 親分は戦わなきゃいけないけど、芸人は勝った奴をまた喜ばせればいいんだから。

出典 悪口の技術

お笑いの寄席踏んでる芸人なんて、誰がウケるかの勝負をいつもやってるわけだから、下手するとドラマのタレントや映画スターよりも迫力がある。 ドラマや映画は監督も共演者もいて責任を一人で被らないけど、寄席はそいつだけの責任だからね。

出典 おまえの不幸には、訳がある!―たけしの上級賢者学講座

芸人になった時に、凄いと思ったのはやすし・きよしだね。おいらたちが楽屋に入っていって、「あっ、どうも」「おう元気か」なんてやり取りしただけなんだけど、緊張したな。 喧嘩してたんだか何だか知らないけど、二人黙ってお茶を飲んでるだけで迫力があった。

出典 おまえの不幸には、訳がある!―たけしの上級賢者学講座

昔、おいらがまだ浅草の演芸場に出ている頃、面倒見のいい漫才師の兄さんがいた。「たけちゃん、うちに来なよ」って晩飯にも呼んでくれた。よくできた奥さんがいて、子供がいて、実にいい家庭だった。 だけど、この人は芸人としては絶対に目が出ないと思ったね。案の定、最後まで売れなかった。要するに舞台を選ぶか、家庭を選ぶかってことだからね。

出典 おまえの不幸には、訳がある!―たけしの上級賢者学講座

どうも、いつの頃からなのか、ネタの「送り手」と「受け手」という二種類の人種にはっきり分けられちゃったという感じがしてならない。(略) 「受け手」の人種はひどく扱いやすい人たちであってさ、下手するとこれは奴隷扱いじゃないかって思う時さえあるもん。「送り手」が主人公で「受け手」が奴隷、その区別が年々はっきりしているんじゃないか。

出典 こんな時代に誰がした!

漫才ってのも肉体の格闘技って面があってさ、全身のパワーを全開させてやるから、一度やるとヘトヘトになっちゃう。口先でいい加減なことをいって笑わせる芸なんだけど、それを支える肉体ってのはけっこう凄いものなんだ。

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