『愛の階段』一生かけて6000段を完成

中国で感動的な夫婦の実話として話題になった『愛の階段』。

ソフタッチ さん

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5,60年前にある夫婦が、年齢などが原因で周りから好奇な目で見られたため、山奥で生活することを余儀なくされました。しかし、妻が山から下りるのが不便だったので、夫は人生の大半の時間をかけて、6000段にも及ぶ階段を作りあげたのです。この物語があまりに感動的だったため、この夫婦が亡くなった後、二人が住んでいた場所はちょとした観光地のようになりました。

10月30日、重慶で1人の老人が世を去った。老人の名は徐朝清さん(写真)。このニュースは、人々にあるひとつの記憶を思い起こさせた。彼女と、10歳年下の夫、劉国江さん(5年前に逝去)の間でつむがれた、感動的な愛の記憶だ。

 1942年、重慶に住む6歳の劉国江少年は、この地に嫁いできた当時16歳の花嫁、徐朝清さんをひと目見たときから忘れがたい気持ちを抱いていた。10年後、徐朝清さんは不幸にして最初の夫に先立たれ、女手ひとつで4人の子供を養い育てていた。当時、まだ16歳であった劉国江さんが川に落ちた徐さんの息子を助けたことから、2人の間に愛情が生まれていった。しかしこのことは、当時の閉鎖的な社会の中では、人々の非難の的になった。1956年、劉国江さんは大胆な決断を下した。徐朝清さんと4人の子供を連れて出奔し、海抜1500メートルの山中に隠れたのだ。

劉國江さんは徐朝清さんが下山するときに不便でないように、生涯をかけてこの『愛の階段』を作り続けたのです。

峻険な高山は歩くのにも難しく、徐朝清さんが安全に動けるよう、劉国江さんはごく普通のたがねと金づちだけで、切り立った崖に外界へと通じる階段を刻みつけた。劉さんは崖の斜面を利用し、砕いた石や材木など、さまざまなやり方を用い、細心の注意で崖に手がかりとなるところを刻み付けた。こうして刻み、彫り続けること50年、実に6000段もの階段を刻み出したのだ。劉国江さんは生前にこのように語っていた。「愛し合ってさえいれば、どんなことも問題ではない。道は一生かけて開くものだ」。

階段は何度も失敗し崩れましたが、彼は階段を完成させたのです。

そして、この階段にはコケが生えません。

なぜなら毎回雨が降った後に、劉國江さんは一段一段、階段を拭き、徐朝清さんが滑って転ぶのを防いだのです。

徐朝清さんが滑らないように、劉國江さんは石の表面にも切りこみを入れました。

二人の結婚証書は長い年月でぼろぼろになってしまいましたが、それでも彼らはこの証書を残し続けました。

2001年、旅行団が偶然、彼らの存在を発見し、そこから多くの人に知られるようになりました。
多くの中国人がこの話に感動しました。
劉國江さんを番組のゲストとして呼んだ番組もありました。
しかし、男性の劉國江さんが2007年に亡くなります。
劉國江さんが家の中で倒れた時、徐朝清さんは山の下にいる息子を探すため、初めて一人で下山していたそうです。

普段は劉國江さんが彼女をサポートしながら一緒に下りていたのに……。

その日は大雨が降っていました。
徐朝清さんは何度も転びながら下山し、なんとか息子を探し当てました。
その後、息子と共に山を登ろうとしたのですが、彼女にはもうその体力がありませんでした。
翌日、倒れているところを発見された劉國江さんは息子に背負われ下山しました。

しかし、発見が遅れたためか、数日後、劉國江さんは亡くなってしまいます。
亡くなる時、徐朝清さんは劉國江さんの手をずっとずっと握っていたそうです。

この階段は2001年に野外調査員によって発見され、彼らは下山後、この物語を人々に伝えた。人々は深く感動し、劉国江さんの愛情に満ちたこの道を「愛の階段」と呼んだ。2人の老人が相次いで世を去ったことにともない、重慶市は人間の真心の目撃証人であるこの「愛の階段」を、永遠の愛の財産として保存するために、資金を拠出することを決定している。

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