峻険な高山は歩くのにも難しく、徐朝清さんが安全に動けるよう、劉国江さんはごく普通のたがねと金づちだけで、切り立った崖に外界へと通じる階段を刻みつけた。劉さんは崖の斜面を利用し、砕いた石や材木など、さまざまなやり方を用い、細心の注意で崖に手がかりとなるところを刻み付けた。こうして刻み、彫り続けること50年、実に6000段もの階段を刻み出したのだ。劉国江さんは生前にこのように語っていた。「愛し合ってさえいれば、どんなことも問題ではない。道は一生かけて開くものだ」。