【ミスチル所属事務所 社長】株式会社エンジン代表取締役の谷口和弘の経歴まとめ。

ミスチルが所属する芸能事務所、音楽制作会社の株式会社エンジン。
2014年に代表取締役として設立した谷口和弘社長の経歴についてまとめていきます。

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ミスチルが所属する芸能事務所、音楽制作会社の株式会社エンジン。
2014年に代表取締役として設立した谷口和弘社長の経歴についてまとめていきます。

株式会社エンジンには、2014年にミスチル、ナオト・インティライミが、2015年には元日本代表のサッカー選手 大久保嘉人が加入しています。

株式会社エンジン 社長の谷口和弘氏

2024年現在、ミスチル・ナオトインティライミ・大久保嘉人が在籍しているのが、株式会社エンジンという芸能事務所。
2014年に谷口和弘氏が株式会社OORONG-SHAから独立しエンジン設立、社長に就任しました。

谷口和弘氏は、1976年12月10日三重県生まれ。
1997年に音楽制作会社である株式会社OORONG-SHAに入社、1999年よりMr.Children マネージャー担当、2014年に株式会社エンジンの社長となっています。

谷口和弘社長「サッカーと音楽の学生時代」

三重県の新興住宅街で生まれ育ったという、谷口和弘氏。
父親はサラリーマンで、父母、姉との4人暮らし。
音楽には全く関係のない一般的な家庭で育ち、小学校から高校まではサッカーに打ち込んでいたとのこと。

が、サッカーの引率の教師が車で聴いていたのが「BOφWY」だった。
そこでバンドのカッコよさに惹かれ始めたという。
高校時代には友人の家で麻雀をしている時、4人の人数にあぶれた時間でギターを練習していたといいます。
将来は音楽業界で働きたいとの想いが募り、三重から大阪の「キャットミュージックカレッジ専門学校」に進学。
音響化を卒業することになります。

しかし音楽専門学校を卒業してもスタジオ就職は、なかなか叶わず。
三重の実家へ戻り、上京資金を貯めるため、アルバイト生活を送ります。

谷口和弘社長「上京後に音楽業界入り」

画像:https://www.mrchildren.jp/disco/#all

専門学校を卒業してから半年でアルバイトで100万円を貯め、トラックを運転して上京した若き谷口和弘氏。
車の中では、当時大ヒットしていたミスチルの「ALIVE」を聴きながらだったそうです。
よもや、この段階でミスチルのマネジメントを受け持つことになるなんて、想像もしていなかったでしょうね。

数か月は上京しても仕事もなく、少し焦りを覚えていた頃、三重の実家から電話が入ります。
それが、三重でアルバイトをしていた時期に応募していた会社から電話があったという知らせ。
なんとその会社は、音楽制作会社「株式会社OORONG-SHA」の子会社だったんです。
谷口和弘氏は、この会社にミスチルが在籍しているなんて、全く知らなかったそうです。
1999年、ミスチルの生みの親である音楽プロデューサー小林武史氏が代表を務める「株式会社OORONG-SHA」に入社し、音楽業界へ入ることになります。

谷口和弘社長「サッカーを通じたミスチルとの出会い」

1999年、ミスチルと共同制作を行ってきた小林武史氏が代表を務める「株式会社OORONG-SHA」に入社した谷口和弘氏。
ミスチルと出会うまで、そう長い時間はかかりませんでした。
所属アーティストのレコーディング設営やバラシ、機材運びを主に手伝っていたようですが、たまにマニピュレーターの手伝いをするようになります。
マニピュレーターとは、電子楽器や打ち込みサウンドのコンピューター制御する人のことです。
音響科を卒業した谷口和弘に、適した仕事だったのかもしれません。

その中である日、ミスチルとのチーフマネージャーからサッカーに呼ばれます。
ここでお気づきの方も多いでしょう。
ミスチルのメンバーはサッカーが大好き。
特にボーカルの桜井和寿氏は、サッカーチームに入っているくらいです。
そこでミスチルと出会い、徐々にミスチルと仕事をするようになっていくんです。

谷口和弘社長「マネージャーとして認められるまで」

画像:https://www.mrchildren.jp/disco/#album/album09

しかしすぐにマネージャーを担当できたわけではなく、1999年に正式にマネジメントを担当するまで多くの苦労がありました。
当時、アルバム『Q』の製作段階。
ミスチルがも有している山形のスタジオでの合宿や、ニューヨークでのレコーディング、メンバーを寝食を共にしているうちに、ミスチルの当時のチーフマネージャーから、マネジメントの資質を見いだされます。

しかし音響科を卒業している谷口和弘氏は、マニピュレーターとして成長していきたいと考えていたようで、何度もお断りをしているそう。
株式会社OORONG-SHAの企画コンサートの際、真剣に頼まれたことをきっかけに、マネージャーへ転身します。
1999年、谷口和弘氏は上京の際には車で聴いていたミスチルの、マネージャーになるんです。

谷口和弘社長「独立・そして株式会社エンジンの設立」

画像:https://www.enjing.jp/

谷口和弘氏は、ナオトインティライミをゼロからプロデュースしてきた経験や、メジャーバンドであるミスチルのマネジメントを担当してきた経験から、今後は「自分で責任を負って新しいことにチャレンジしていきたい」といった想いを持ちます。
2014年、自分が代表として責任を負って仕事できる環境を求め、独立をします。
そして立ち上がった株式会社OORONG-SHAの関連会社が、株式会社エンジンです。

独立して新事務所を立ち上げるにあたって、株式会社OORONG-SHAに在籍していたミスチルも、ゼロからプロデュースしてきたナオトインティライミも、エンジンに移籍することになりました。

親会社である株式会社OORONG-SHA代表、小林武史氏にも理解を得られ、円満に事業分化することになります。

2015年、元日本代表プロサッカー選手 大久保嘉人氏もエンジンに加入。
2024年現在、ミスチル・ナオトインティライミ・大久保嘉人が在籍しています。

谷口和弘社長「エンジンとタレントマネジメントの今後」

現在谷口和弘が社長として経営する株式会社エンジンは、芸能事務所としてミスチル・ナオトインティライミ・大久保嘉人が在籍しています。
在籍しているタレントはビッグネームばかりだが、芸能事務所としての知名度は、独立前の株式会社OORONG-SHAに劣る。
その為、積極的に業界の関係者へ挨拶し、社長として事務所のPRを行っているようです。

結果、1日でも長くタレントとして、そしてプロのミュージシャンとして活動できる環境作りをしていきたいと語っています。
既に所属タレントは、知名度が非常に高い成功者が多いですよね。
ミスチルがミスチルでいれるよう、ナオトインティライミがナオトインティライミでいられるよう、所属タレントの魅力を届けられるようなマネジメントを心がけているようです。

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