専門学校を卒業してから半年でアルバイトで100万円を貯め、トラックを運転して上京した若き谷口和弘氏。
車の中では、当時大ヒットしていたミスチルの「ALIVE」を聴きながらだったそうです。
よもや、この段階でミスチルのマネジメントを受け持つことになるなんて、想像もしていなかったでしょうね。
数か月は上京しても仕事もなく、少し焦りを覚えていた頃、三重の実家から電話が入ります。
それが、三重でアルバイトをしていた時期に応募していた会社から電話があったという知らせ。
なんとその会社は、音楽制作会社「株式会社OORONG-SHA」の子会社だったんです。
谷口和弘氏は、この会社にミスチルが在籍しているなんて、全く知らなかったそうです。
1999年、ミスチルの生みの親である音楽プロデューサー小林武史氏が代表を務める「株式会社OORONG-SHA」に入社し、音楽業界へ入ることになります。