こんな事故があるの!?実際にあった労災(労働災害)事例

一瞬これが認められるのか驚くようなものもある労災事例集です。

燃えPaPa さん

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乗務員6名の漁船が、作業を終えて帰港途中に、船内で夕食としてフグ汁が出された。乗組員のうち、船酔いで食べなかった1名を除く5名が食後、中毒症状を呈した。海上のため手当てできず、そのまま帰港し、直ちに医師の手当を受けたが、重症の1名が死亡した。船中での食事は会社の給食として慣習的に行われており、フグの給食が慣習になっていた(昭和26年2月16日基災発111号)。

C会社の大型トラックを運転して会社の荷物を運んでいた労働者Dは、Eの運転するF会社のトラックと出会ったが、道路の幅が狭くトラックの擦れ違いが不可能であったため、F会社のトラックはその後方の待避所へ後退するため約20メートルバックしたところで停止し、徐行に相当困難な様子であった。これを見かねたDが、Eに代わって運転台に乗り、後退しようとしたが運転を誤り、道路から断崖を墜落し即死した(昭和31年3月31日基収5597号)。

以前にも退勤時に約10分間意識を失ったことのある労働者が、工場の中の2℃の場所で作業している合間に暖をとるためストーブに近寄り、急な温度変化のために貧血を起こしてストーブに倒れ込み火傷により死亡した(昭和38年9月30日基収第2868号)。

建設中のクレーンが未曽有の台風の襲来により倒壊するおそれがあるため、暴風雨のおさまるのを待って倒壊を防ぐ応急処置を施そうと、監督者が労働者16名に、建設現場近くの、山腹谷合の狭地にひな壇式に建てられた労働者の宿舎で待機するよう命じたところ、風で宿舎が倒壊しそこで待機していた労働者全員が死亡した(昭和29年11月24日基収第5564号)。

戸外での作業開始15分前に、いつもと同様に、同僚とドラム缶に薪を投じて暖をとっていた労働者が、あまり薪が燃えないため、若い同僚が機械の掃除用に作業場に置いてあった石油を持ってきて薪にかけて燃やした際、火が当該労働者のズボンに燃え移って火傷した(昭和23年6月1日基発第1458号)。

マイカー通勤をしている労働者が、勤務先会社から市道を挟んだところにある同社の駐車場に車を停車し、徒歩で職場に到着しタイムカードを押した後、フォグライトの消し忘れに気づき、徒歩で駐車場へ引き返すべく市道を横断する途中、市道を走ってきた軽自動車にはねられ負傷した(昭和49年6月19日基収第1739号)。

上司の命により従業員の無届欠勤者の事情を調査するため、通常より約30分早く「自宅公用外出」として自宅を出発、自転車で欠勤者宅に向かう途中電車にはねられ死亡した(昭和24年12月15日基収第3001号)。

配管工が、早朝に、前夜運搬されてきた小型パイプが事業場の資材置場に乱雑に荷下しされていたためそれを整理していた際、材料が小型のため付近の草むらに投げ込まれていないかと草むらに探しに入ったところ、その草むらの中に棲息していた毒蛇に足を咬まれて負傷した(昭和27年9月6日基災収第3026号)。

自動車運転手が、長距離定期貨物便の運送業務の途上、会社が利用を認めている食堂前に至ったので、食事のために停車し食堂へ向かおうとして道路を横断中に、折から進行してきた自動車にはねられて死亡した(昭和32年7月19日基収第4390号)。

勤務時間中に、作業に必要な私物の眼鏡を自宅に忘れた労働者が、上司の了解を得て、家人が届けてくれた眼鏡を工場の門まで自転車で受け取りに行く途中で、運転を誤り、転落して負傷した(昭和32年7月20日基収第3615号)。

「明日午前8時から午後1時までの間に、下請業者の実施する隣町での作業を指導監督する」よう出張命令を受け、翌日午前7時過ぎ、自転車で自宅を出発し、列車に乗車すべく進行中、踏切で列車に衝突し死亡した(昭和34年7月15日基収第2980号)。同人が乗車しようとしていた列車が通常の通勤の場合にも利用していたものであるとしても、通勤災害ではなく業務災害が認められる。

午前の勤務を終了し、平常通り、会社から約300メートルのところにある自宅で昼食を済ませた労働者が、午後からの勤務に就くため12時45分頃に自宅を出て県道を徒歩で勤務先会社に向かう途中、県道脇に駐車中のトラックの脇から飛び出した野犬に下腿部をかみつかれて負傷した(昭和53年5月30日基収第1172号)。

会社からの退勤の途中で美容院に立ち寄り、髪のセットを終えて直ちに合理的な経路に復したのちに災害に遭った(昭和58年8月2日基発第420号)。理美容のために理髪店・美容院に立ち寄る行為は、「日用品の購入その他これに準ずる日常生活上必要な行為」に該当するとされた。

川の護岸築堤工事現場で土砂の切取り作業をしていた労働者が、土蜂に足を指され、そのショックで死亡した。蜂の巣は、土砂の切取り面先約30センチメートル程度の土の中にあったことが後でわかり、当日は数匹の蜂が付近を飛び回っており、労働者も使用者もどこかに巣があるのだろうと思っていた(昭和25年10月27日基収2693号)。

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