北大路魯山人の金言(美食と健康、栄養について)

日本のガストロノミーや料理人、陶芸家なら読んでおきたい昭和の偉大な芸術家で美食家の著作から健康関連の至言をピックアップ。「美味いもの食いの道楽は健康への投資と心得よ。出典 『味覚馬鹿』ほか。

kabusake さん

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美味い不味いは無意味に成り立っているものではない。栄養の的確なバロメーターである。

出典 『味覚馬鹿』

美味い不味いは栄養価を立証する。

出典 『味覚馬鹿』

栄養価値充分にして美味にあらざるものは断じてない。美味なれば必ず栄養が存する。

出典 『味覚馬鹿』

栄養を待っている肉体に要求がなくなれば、美味にあらず効果もなし。

出典 『味覚馬鹿』

外人でも日本人でも、料理を心底から楽しんではいないようだ。味覚を楽しみたい心は持っているが、真から楽しめる料理は料理屋にも家庭にもないからであるらしい。栄養栄養と、この流行に災いされ、栄養薬を食って栄養食の生活なりと、履き違えをしているらしい。

出典 『味覚馬鹿』

えて栄養食と称するものは、病人か小児が収監されているときのような不自由人だけに当てはまるもので、食おうと思えばなんでも食える自由人には、ビタミンだのカロリーなど口やかましくいう栄養論者の説など気にする必要はない。好きなものばかりを食いつづけて行くことだ。好きなものでなければ食わぬと、決めてかかることが理想的である。鶏や飼犬のような宛てがいの料理は真の栄養にはならない。自由人には医者がいうような偏食の弊はない。偏食が災いするまでには、口のほうで飽きが来て、転食するから心配はない。

出典 『味覚馬鹿』

食事の時間がきたら食事をするという人がある。食事の時間だから食べるのではなく、腹が空ったから食べるのでなければ、美味しくはない。美味しいと思わぬものは、栄養にはならぬ。美味しいものは必ず栄養になる。

出典 『味覚馬鹿』

美味いもの食いの道楽は健康への投資と心得よ。

出典 『味覚馬鹿』

美味いものを食うと、人間誰しも機嫌がよくなる。必ずニコニコする。これが健康をつくる源になっているようだ。

出典 『味を知るもの鮮し』

美食を要求しているものは、口であるように思っているけれども、実は肉体の全部が連合して要求しているらしい。どうもそう考えられる。心というものも、その中の一員であって、常によろこびを理想としている。この心さえ楽しんでくれれば、他に少々間違いがあっても、打ち消されてしまうようである。

出典 『味を知るもの鮮し』

カロリーだ、ビタミンだと言ってみても、人間成人して、自由を知った者は、必ずしも心のよろこびとしては受け取らない。まず自分の好きなもの、好む食物でなくては、いかに名高い食物であっても、充分の栄養にはならないであろう。だから、他人がいかに「美味い」と言っても、自分が好まなければ、なんの価値もないのである。

出典 『味を知るもの鮮し』

他人が愛飲する酒の如きは、人によって天の美禄でもあり、百薬の長ともなるが、好まざる者には無価値である。煙草などもその一例であって、好まざる者には全くの無価値である。否、害毒となって健康をそこねるであろう。

出典 『味を知るもの鮮し』

近来流行している栄養医学に関係ある人々が、食物と料理に精通されるならば、試験管中に一層の命が加わり、栄養料理は美味くないなどという今日の悪罵はおのずと雲散霧消し、日本人の健康増進にと寄与することは疑うべくもない。

出典 『味を知るもの鮮し』

自分の了見で好きなものを選択し、三度三度美味いもの食いをつづけることが理想的であるが、これを罪悪視し、ゼイタク者とし、甚だしきは異端者視し、自由食欲を許さない陋習をふしぎとしない風習をつづけているが、これは健康問題の上から深く考えて、食欲の自由を許すべきであろう。

出典 『味を知るもの鮮し』

品位好尚が高雅であれば、つくられるところの料理も、すべての出で立ちも、おのずと品位備わり、口に美味く、心に楽しく、完全に栄養の目的は達し得られるはずである。

出典 『味を知るもの鮮し』

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