ネット住民を「犯罪者」扱い!毎日新聞取締役・小川一による差別発言の過去

デマ・差別・報道圧力など、口を開くたびに炎上している毎日新聞取締役・小川一。そんな小川が2008年に執筆した記事が大きな波紋を呼んでいる。彼の差別的思想は今に始まったことではないようだ。

圧倒的みかんちゃん さん

28 PV

●毎日新聞の炎上芸人、取締役・小川一氏

1981年、毎日新聞社に入社。社会部に18年在籍したのち社会部長などを歴任し、2015年6月に毎日新聞社取締役へ。毎日新聞の電子新聞サービス「デジタル毎日」の責任者でもある。

大手新聞社の取締役である小川一氏は、Twitterでの発言がたびたび炎上するお騒がせ記者である。
しかし炎上発言は今に始まったことではなく、過去にもとんでもない大失言を放っていたのだ。

毎日新聞 2008年6月17日 夕刊に掲載された驚愕の文章

以下の文章が掲載されたのは、秋葉原連続殺人事件が発生した9日後の夕刊である。

この日、連続幼女誘拐殺人事件で死刑が確定した宮崎勤の刑が執行されたことを受けて小川が執筆したと思われる。

●秋葉原通り魔事件の犯人と宮崎勤を同列に比較する浅はかさ

宮崎勤死刑囚は、26歳の時に警視庁に逮捕された。秋葉原17人殺傷事件の加藤智大容疑者は25歳。死刑執行の一報を聞いた時、20年近い歳月をはさんだ同世代の2人が重なり合って見えた。

秋葉原通り魔事件を起こした加藤智大死刑囚と、通り魔事件の9日後に死刑が執行された連続幼女誘拐殺人の宮崎勤元死刑囚を同列に語る小川一氏。

普通に考えたら、20年前の20代と現在の20代が「同世代」なわけがない。20も歳が離れれば時代背景も社会の動きもまるで違う。この人は20年もの間に何を見聞きしてきたのか、と疑問に思う。

ちなみに宮崎は1962年生まれの45歳(享年)、実年齢で26歳(2008年現在)の加藤と一緒にするのはあまりに無理があり、むしろ50歳になるならず(2008年現在)の筆者の方が、よほど同年代として同じ視点と思想を共有しているはずですね(苦笑。

2つの事件は「オタク」が引き起こしたとされる報道が飛び交った

しかし実際には誇張された部分が多く、オタクに対しての偏見やバッシングが広がる結果となった

これら事件と絡めてオタク・ネット民を批判したのが毎日新聞の小川一である

●「アニメを見ると、バーチャルと現実の境がわからなくなる」という妄言

私は当時、警視庁担当の記者として宮崎死刑囚の事件を追っていた。アニメやホラーなどの膨大な数のビデオが積まれた部屋。その中で行われた殺害幼女のビデオ撮影。「今田勇子」を名乗って被害者宅に●●声明を郵送、遺骨も届ける異様な行為。仮想空間と現実の境が消えたとしか思えない驚異の犯罪の出現に、誇張ではなく体が震えた。

出典 表現規制のしくみ (改名しました。):毎日新聞社会部長 “小川 一 の妄言” ~宮崎勤死刑囚と若者叩き~ - livedoor Blog(ブログ)

猟奇的な犯罪行為と、自らに馴染みのない文化やコンテンツに対する偏見を結び付けた短絡的思考。

もしアニメによって仮想現実と現実の区別がつかなくなるのなら、宮崎と同じアニメを観た人間は全員猟奇殺人を起こす危険性が高いということか。あまりにもおかしい。

ファミコン全盛だった80年代。近年広がりを見せているVRよりもかなり「バーチャル」感が漂っている。これで現実との区別がつかなくなるとは想像しがたい。

出典:「ヘラクレスの栄光」

●宮崎勤・加藤智大とネット住民を重ねて「時代の病」と一括り

 ほどなくインターネットが登場し、ネット社会という無限の仮想空間が新たに出来上がる。宮崎死刑囚が社会に見せつけた時代の病は、さらに増殖を続けている。現実と仮想の境が見えず、現実感覚を失った事件がいま、不幸にも各地で続発している。

 秋葉原殺傷事件の加藤容疑者は携帯サイトにひとり書き込みを続けていた。その姿と自室でビデオ鑑賞にふける宮崎死刑囚が私には二重写しになる。もし、当時、ネットがあれば、宮崎死刑囚はどんな書き込みをしたのだろうか。

新しい世代を”病気”扱いするのは老害の証拠

 仲間と互いに顔を見ながら、笑い、怒り、泣く。体を触れ合って愛情を確かめ、心を通わせる。そんな当たり前のことが難しくなった孤独な時代に、私たちは生きている。命の重みを見失ってしまったかに見えた宮崎死刑囚は、どんな思いで死に赴いたのか、それが気になってならない。

インターネットが普及したのは90年代半ばごろ。
80年代後半に幼女誘拐殺人事件を起こした宮崎とネット住民を一緒に語るには無理がある。
宮崎と加藤を重ね合わせて語るためのこじつけに過ぎない。

●凶悪殺人事件は年々減少傾向にある

「凶悪事件が続発している」という小川の主張が間違いであることを裏付けるデータになっている。

むしろ小川が20代だった70~80年代のほうがよっぽど「時代の病」ではないのか。

仲間と互いに顔を見ながら、笑い、怒り、泣く。体を触れ合って愛情を確かめ、心を通わせる。そんな当たり前のことが難しくなった孤独な時代に、私たちは生きている。命の重みを見失ってしまったかに見えた宮崎死刑囚は、どんな思いで死に赴いたのか、それが気になってならない。

現代では、対面だけでなくネット上で知り合った仲間と心を通わせることができる。
メールやLINE・TwitterなどのSNSを利用すれば、世界中の人々とコミュニケーションが取れるのだ。

小川がもし孤独を感じているのなら、それは社会のせいではなく世の中の流れについていけず取り残された自分のせいなのである。

●『アキハバラ発』で記事に苦言を呈した伊藤剛氏を完全無視する小川

秋葉原でおきた殺傷事件。「●●は許せないが犯人の心情に共感する」という同世代の声にどう向き合うか。非正規雇用の拡大やコミュニケーションの変容など〈00年代〉の社会状況に位置づけたとき、この事件は何を問うているか。大澤真幸,森達也,東浩紀,平野啓一郎,本田由紀,斎藤環,内田隆三ほか、第一線の論者の発言。

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