【1】
1527年フェリペ生誕。難産を越えて生まれた子は、金髪で巻き毛の、目は青く肌の白い子。 6歳:狩り遊びが好き。母や女官の間で大切に育てられてきたフェリペは、字の読み書きができない。(p.18、p.34)

【2】
7歳:蝶や鳥を集めるのが好き。なにもせずにぼおっと遠くを眺めているのが好き。 「男子は、王でさえも、泣くときがある。しかしそれは、まったく一人でいるときなのだ。」と口にする教授による教育効果の成果で、感情を表に出さなくなる。いろいろな鳥を飼育するのが好き、おもちゃの兵隊で遊ぶのがすき、音楽を聴くのも好き。(p.35、p.36)

【3】
8歳:体は丈夫ではない。運悪く傷んだ魚を食べてサルモネラ菌に感染。生死のハザマをさまよう。 2ヶ月もの長い病気の結果、毎朝の早朝ミサを欠かさなくなり、わずかながらも大人の道を歩み始める。(p.36)

【4】
9歳:文法、カトリックの公教要理を学び、乗馬も少しできる。(母の飼い慣らされた子馬程度にならば) 病気がち。痔を患い、胃病もちであり、マラリアにもかかり、喘息で、水疱瘡にもかかる。(p.37)

【5】
このころより、繰り返し繰り返し父の話をする母。「貴方のお父様は、ヨーロッパで一番、素晴らしいお方です」「チュニスを征服して、イスラム教徒の捕虜になっていたキリスト教徒を解放したのですよ」フェリペの中で父親像は凝縮され、理想化され、唯一の英雄像となっていく。(p.38)

【6−1】
12歳:母イザベル他界。母他界。丈夫ではなかった上に、出産を繰り返し、その上難産。臨終の歳はフェリペもカルロスもマドリッドにいたため立ち会えず。慎み深い王妃は死後の体を人の手で触れられることを拒否し、自然のまま埋葬されることを望む。しかしそれが裏目に出る。 塩蔵のみの遺骸は無残に腐敗。(p.43)

【6−2】
グラナダの王室礼拝堂にて、開棺に立ち会うフェリペの目の前には恐ろしげな塊が横たわっていた。フェリペは言葉にならないショックを受ける。最も愛する、この世で一番美しい人の変わり果てた姿。人間の尊厳とはなんぞやと自問を繰り返す。 (なお、葬儀取り仕切り役の臣下フランシスコ・デ・ボルハのショックも大変なものであり、この光景が原因で聖職者への道を志したといわれている。)(p.43)

【7】
15歳:結婚話がもちあがる。相手はフランソワ1世の娘ジャンヌ・ダルブレ。 本来父に従順な息子フェリペがこの時ばかりは異を唱える。 相手はポルトガル王女のマリア・マヌエラ(母の姪)が好ましいと主張。政治的意図と、母への思いを添えて。(p.46)

【8】
16歳:ポルトガル王女のマリアと結婚。(この年の春、父カルロスはプロテスタント問題を解決すべくスペインを立ち、1556年まで戻らない。) 父不在の間はスペインの摂政を務める。この間、マリアへ書かれたフェリペ評「中背、手足のバランスが良い。赤毛、目は青くはっきり。下唇は肉付きよく下がっている。用心深く、口数少なく、非社交的。 狩りと乗馬がお気に入り。音楽好きでダンスは巧み。演劇喜劇闘牛は好きではない」(p.46、p.54)

【9】
18歳:妻マリアの難産の末、第1子ドン・カルロス誕生。しかし出産から4日後にして、マリアはそのまま逝去する。 摂政するにあたって父がフェリペの周りにおいた重臣たちがここ1,2年の間に時をそろえたかのよう逝去。残されたのは幼いカルロス(しかも親戚結婚ゆえ劣性遺伝が災いし異様に頭が大きかった)とあまりに巨大なスペイン帝国。気が遠くなりそうになりながら、呆然としつつ十代を終える。 母イザベルの死で始まった十代は、妻マリアの死で終わった。(p.54)

【10】
この頃のフェリペの見目はネーデルランド人であるが、中身はカステーリャ人。カステーリャ語は完全に読み書きでき、母の影響でポルトガル語にも堪能であった。しかしドイツ・イタリア・フランス・英語は乏しく、勉強の意欲もなかったという(p.62)