習氏はいま、一九七〇年代半ばまで中国国内で絶対的なカリスマだった毛沢東を真似することで、自らの存在感を示そうとしている。

父親の名を借りて出世し、実務の評判は芳しくない。カリスマ性なんて皆無。
そんな人物が派閥争いの”成り行き”で国家主席の座を手にした。
「ハリボテでもいいから求心力を」と毛沢東の真似に走る気持ちもわからなくはない。