(1)ソ連は、1960年、対日覚書を発出し、日ソ共同宣言で合意された歯舞群島及び色丹島の引渡しについて、日本領土からの全外国軍隊の撤退という全く新たな条件を課すことを一方的に声明した。これに対し、我が国は、対ソ覚書により、国際約束である日ソ共同宣言の内容を一方的に変更することはできない旨反論した。
(2)田中総理訪ソ(1973年)
日ソ共同声明において、「第二次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結することが、両国間の真の善隣友好関係の確立に寄与することを認識し、平和条約の内容に関する諸問題について交渉した。」と明記された。
→ブレジネフ書記長は、北方四島の問題が戦後未解決の諸問題の中に含まれることを口頭で確認。
(3)それにもかかわらず、その後ソ連は長い間「領土問題は存在しない」との態度。