政府の統制からはずれた非公式な遊女の集まる場所として、宿場町の飯盛旅籠(めしもり はたご)や門前町などの岡場所(おかばしょ)、茶屋街があった。公娼ではない私娼は、飯盛女(めしもりおんな)または飯売女(めしうりおんな)と呼ばれた。

16世紀末には「風呂屋」が現れはじめ、博多に遊里が出現、さらに博多の遊里は長崎へと進出し、南蛮人相手の遊郭となっていった。遊郭は、南蛮貿易とも結びついた。

公娼だけでなく、私娼であっても、古くから組織化され、宿や料亭、風呂屋という建前での売春業が行われていた。(現在の新地やソープランドの構造によく似ている。)