この時代の売春婦たちは、ほとんどが遊行女婦と呼ばれ、芸を見せる傍らやはり性を売っていて、売春婦達は身を売る他に、低俗ですが男と女が観衆の前で性交を行う見せ物をしたり、犬と女との間での交わりをを見せ物とし、金品を稼いだりしたようです。

そのような性の見世物のひとつに「歌舞伎踊り」というものがあり、出雲の巫女であった阿国が女性だけの一座をつくり、宝塚のように男装して踊ったのは有名である。