有名な吉原遊郭もこの時期に誕生します。

この時期江戸では50万人以上が生活しており、当時としては世界的に見ても大都市であったようです。当時、男女の人口比率は男性の方が圧倒的に多く、また、参勤交代で地方から男の武士達ばかりやってくるので江戸の町は本当に男だらけだったようで、当然あっちの方も元気なわけで、娼婦が街中に出没するのは自然の成り行きだったようです。

当時、大阪、駿河では既に幕府公認の遊郭があったが江戸にはまだ無く、風紀を統制する為、先の大阪、駿河に習い、遊郭を造り、そこへ娼婦などが集められた。