林 修先生が教える「東大に入れる方法」

プレジデントFamily 2013年9月号

飯田 守=構成 山崎ゆり=撮影

brandnewmthn さん

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“ちびまる子ちゃんの家”が理想でしょ!

学力は5歳までの親の接し方で決まる

東大に合格できる子とそうでない子の差は何か? 1ついえるのは、「優秀な子の親には共通したものがある」ということ。それは、親の多くが本好きだ、ということです。家庭で楽しそうに本を読んでいる姿を見て育ってきた子は、高い確率で本好きになり、それが東大合格につながるのです。

本を読まない子、あるいは読めない子は、知識や想像力、構成力、読解力などで決定的な差をつけられることになります。子供を東大に入れたいと考えるなら、「孟母三遷(もうぼさんせん)の教え」ではないが、親はそういう環境をつくってやらなければいけない。

極端な言い方に聞こえるかもしれませんが、わが子が東大に入れるかは「5歳までの親の接し方」によるところが大きいということです。

僕個人のことを振り返ってみても、学習能力を高めるうえで1番大きかったのは、3歳から5歳にかけての時期だったといえます。この時期に、文章を読むことがごく自然にできる環境を与えられていたことが大きかったのです。

僕は母方の祖父に猫っかわいがりされて育ち、両親といるより祖父母の家で過ごす時間が多かった。その祖父が最初に僕に買い与えてくれたのが紙芝居の「みにくいアヒルの子」でした。最初は祖父が読んでくれるのを聞いていたのですが、そのうち僕自身が読むようになった。祖父母はなかなかの聞き上手で、子供がたどたどしく話すのをニコニコしながら毎日毎日ずっと聞いてくれた。同じ物語を繰り返しているのだからそのうち暗記し、スラスラ語れるようになる。すると親バカならぬ爺(じじ)バカ・婆(ばば)バカの祖父母は「修はすごい! うちの孫は天才だ」と喜び、褒めてくれる。そして「三匹のこぶた」など次々と紙芝居を買ってくる。それも諳(そら)んじると、祖父母は聞き役だけでなく質問もしてくれる。僕は考え、答える。そうしたらまた「すごいね」と褒められる。この繰り返しで祖父の家では、僕はまるで紙芝居屋さんみたいでしたね。

紙芝居の次は「子供百科事典」

紙芝居を卒業すると次には「子供百科事典」が登場し、ゾウはこれで、ライオンはこういう生活していると語り合う。これが3歳から5歳にかけてのことです。

この時期にたくさんの物語を言葉に出して抑揚豊かに読むことは、僕の脳にとってすごい刺激だったと思う。おかげで読書が楽しくなり、習性となりました。僕の日本語力の基礎は、この小学校入学前の時期につくられ、脳のスペックが間違いなく大きくなっていたと思います。

同一に扱うのは僭越(せんえつ)ですが、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士も似たようなことをおっしゃっています。

博士は4、5歳ぐらいから祖父に漢籍の素読を習っています。正座させられ厳しく(これは僕と違うところですけどね)。後年、「私はこのころに漢籍を素読したことが決して無駄とは思わない。意味もわからず素読を繰り返すうちに漢字に慣れ、その後の読書を容易にしてくれた」という趣旨のことを語っています。博士の3人の兄弟は全員が京都大学の教授になっていることを思うと、幼少期の読書習慣の大切さがわかります。

僕が小学校に入ってからは、父方の祖父の影響も大きかった。祖父は日本画家・歴史画家で、よく歴史の話をしてくれました。祖父の家にはいろんな歴史の資料があって、僕は祖父の書斎に閉じこもって本を読みあさっていました。僕が小学2年生のときのNHK大河ドラマは高橋英樹さん主演の「国盗り物語」でしたが、学校の図書館から「日本歴史全集」をほぼ借りっぱなしで登場人物のエピソードなどを調べていましたね。両親は「人に迷惑をかけるな」ということ以外、進路や生き方について何も言いませんでした。そして、山ほど本を買ってくれました。おかげで(?)、本の読みすぎでクラスでただ1人メガネをかけていました。

小学3、4年になると「調査熱」は一段と高まりました。例えば戦国大名の大友宗麟(そうりん)が何年に生まれ何をしたと、その経歴を調べてはわら半紙に書き写すのです。本の丸写し。意味のわからない言葉もそのまま丸写しして、それを「歴史新聞」と題して発行していました。わら半紙はたまりにたまって収納していた茶箱が30箱を超えました。

書き写す作業はものすごく尊いこと

この「歴史新聞」の発行に幸いしたのは、当時、コピー機が身近になかったことです。鉛筆でひたすら書き写すしかないのですから。しかも百科事典によって内容が異なると、全部の事典を書き写す。そのうちに自分なりの大友宗麟像を書き添えるようになる。書き写しているうちに、頭の中で「思考と整理作業」をしていたのです。

勉強って、そういうものではないでしょうか。好きなことをやればいいのです。それが文学でも『ぐりとぐら』でもいいし、僕のように歴史でも、理科好きなら太陽系などの話でもいい。興味を持ったことを一生懸命やればいい、させておけばいいのです。ちなみに僕の場合は授業が終わると「図書館の子」になっていたので、音楽もダメ、スポーツもバツ! ちょっとした肥満で中学1年のときで体重は58キロ、中2で75キロ、中3で87キロでしたから。でも本人はそれを何らコンプレックスと感じていなかった。自分は本が好きなのだからと。

「読み書きソロバン」は近代以前からの日本の教育の原点ですが、今はその「書き」がおろそかになっています。小学生のうちに、書くことをいとわない感覚を持たせる。まず書ける土壌を作るために文章を丸写しする。この、書き写す作業はものすごく尊いことなのだと、今、人を教える立場になってことさら痛感しています。コピペはダメ。時代がどう変わろうが、とにかくこの習慣だけは絶対に絶やしてはいけないと思います。

緊張と弛緩がある豊かな関係が大事

子供が問題を解けないときには、「わからない時間」をどれだけ親子で共有できるかが大切だと思います。書き写しも、最初は親子で一緒にやればいいのです。

算数が苦手な子には、同じドリルを2冊買ってきてお母さんも一緒にやればいい。そのとき注意するのは、量を増やしたりレベルを上げるのではなく、つまずいているところに必ず立ち返って1からやり直すことです。基礎ができていないと絶対に前には進めません。だからわかるレベルまで立ち返ってやり直す。1学年下のレベルでもいいじゃないですか。ここで親の焦りは絶対禁物なのです。

どうやれば勉強好きな子供にさせられるか

では、どうやれば勉強好きな子供にさせられるか。これは実によく聞かれる質問なのですが、そもそもこの「させる」という考え方がすでに大間違いなのです。心理学者の河合隼雄さんの受け売りですが、教育って、教え育てることではなく、「教え育つ」なんですよ。そして子供は両親だけでは育ちません。おじいちゃん、おばあちゃん、友達、先生、近所の人、サークルの仲間、いろんな人が作る大きなバスケットの中で育つのです。親もそのバスケットの1要素でしかないのです。

僕がいいと思うのは、テレビアニメの「ちびまる子ちゃん」の家庭。まる子ちゃんは、お母さんには厳しく叱られ、お姉ちゃんとは結構厳しいライバル関係だけど、友蔵じいちゃんとはクダラナイことばかり言い合っている。この冗談が言い合える人間関係ってけっこう大切なのです。家庭や生活環境の中に、緊張と弛緩が程よいバランスで存在することになり、それが人格形成にも貢献していくからです。

もしいま、お子さんが小学生や中学生で「土台作りを損ねてしまった」と思うのであればどうすればいいか。焦らず、今できる、正しいことをやればいいのです。1番大事なのは、その子に向いた指導をしてやることです。他の子に当てはまる勉強のやり方でも、それがわが子に適しているかどうかは別です。成長には個人差があり、早めに伸びる子もいれば、後からじわじわ成長してくる子もいます。お母さんは目の前の成績にとらわれないことが重要です。土台を作りなおすくらいの気持ちで、お子さんに正面から向き合うことです。

事を始めるのに遅すぎるということはないのですから。じゃあいつやるか、それこそ「今でしょ!」なのです。

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