紙芝居を卒業すると次には「子供百科事典」が登場し、ゾウはこれで、ライオンはこういう生活していると語り合う。これが3歳から5歳にかけてのことです。

この時期にたくさんの物語を言葉に出して抑揚豊かに読むことは、僕の脳にとってすごい刺激だったと思う。おかげで読書が楽しくなり、習性となりました。僕の日本語力の基礎は、この小学校入学前の時期につくられ、脳のスペックが間違いなく大きくなっていたと思います。

同一に扱うのは僭越(せんえつ)ですが、ノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士も似たようなことをおっしゃっています。

博士は4、5歳ぐらいから祖父に漢籍の素読を習っています。正座させられ厳しく(これは僕と違うところですけどね)。後年、「私はこのころに漢籍を素読したことが決して無駄とは思わない。意味もわからず素読を繰り返すうちに漢字に慣れ、その後の読書を容易にしてくれた」という趣旨のことを語っています。博士の3人の兄弟は全員が京都大学の教授になっていることを思うと、幼少期の読書習慣の大切さがわかります。

僕が小学校に入ってからは、父方の祖父の影響も大きかった。祖父は日本画家・歴史画家で、よく歴史の話をしてくれました。祖父の家にはいろんな歴史の資料があって、僕は祖父の書斎に閉じこもって本を読みあさっていました。僕が小学2年生のときのNHK大河ドラマは高橋英樹さん主演の「国盗り物語」でしたが、学校の図書館から「日本歴史全集」をほぼ借りっぱなしで登場人物のエピソードなどを調べていましたね。両親は「人に迷惑をかけるな」ということ以外、進路や生き方について何も言いませんでした。そして、山ほど本を買ってくれました。おかげで(?)、本の読みすぎでクラスでただ1人メガネをかけていました。

小学3、4年になると「調査熱」は一段と高まりました。例えば戦国大名の大友宗麟(そうりん)が何年に生まれ何をしたと、その経歴を調べてはわら半紙に書き写すのです。本の丸写し。意味のわからない言葉もそのまま丸写しして、それを「歴史新聞」と題して発行していました。わら半紙はたまりにたまって収納していた茶箱が30箱を超えました。