日本と韓国の歴史(日韓併合までの経緯)

韓国の歴史日韓併合までの経緯のまとめ

pomaera さん

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【日韓併合】

日清戦争の勝利によって朝鮮を清から独立させることには成功したものの、大韓帝国は国論の不一致や国外からの干渉などから独自に近代化を進められず、大日本帝国はついに「日韓併合」を決定するに至る。

日韓併合までの経緯

大韓帝国成立前
朝鮮は中国の属国であった。
地図中にはっきりと「対清属国」と表記されています。

迎恩門(朝鮮国王が、中国の皇帝の使者を迎えるために作った門)

三跪九叩頭の礼(額を地面に打ち付けて行う礼)で中国皇帝の使者を迎えました。
ここから
中国皇帝>>中国使者>>朝鮮王 の身分関係が分かりますね。
朝鮮の王様は中国の皇帝の家来よりも身分が下だったのです。

属国当時の実態


国家主権が一切認められていなかった
例)「朝鮮」という国号は李氏朝鮮初代の王となった李成桂が、明王朝にお伺いを立てて、決めてもらった(ちなみに、朝鮮とは、朝(みつぎもの)鮮(すくなし)という意味)。 
  中国朝廷が朝鮮の王妃や王太子の廃立も決定できた。
  使節が来ると、朝鮮国王は高官を引き連れて迎恩門まで歓迎に赴いて、地面にひざまずいて使節に敬意を表し、
  宴会を催し、芸を披露して接待しなければならなかった。 
  貨幣鋳造権は朝鮮には無かった。
当時の状況
  不衛生極まりない衛生状況
  はげ山ばかりで木々が無い
  識字率は数パーセント(ハングルは日本統治後から普及) 

大韓帝国成立~日韓併合前


日清戦争で日本が勝利し、日本は清に「朝鮮は独立国である」と認めさせました。
こうして大韓帝国が成立したのです。

日韓併合へ


しかし独立を果たしても大韓帝国には国家運営能力が備わっていませんでした。
国土は荒廃し、慢性的な食糧不足の状態が続き、
企業で言うといわば倒産寸前であったのです。
さらに日韓併合に否定的であった伊藤博文総理が、朝鮮人テロリスト安重根によって
暗殺されたことで、日韓併合への道は決定的となりました。
当時朝鮮最大であった[要出典]政治組織「一進会」は、韓国皇帝(高宗)、首相(李完用)に
「韓日合邦」の奏上文を提出しました。
彼らは日本と韓国が連邦制をとる「合邦」を目指しましたが、余りにも国力・文明がかけ離れていたため
「併合」の道を進みました。
「日韓双方の国力の差・文明の程度の差から「日韓対等合邦」は事実上不可能であり、
「連邦制」では欧米列強に対抗する様な強固な国家は建設できない。
従って、日韓が一体となり列強に伍す強固な国家を建設するには、
大韓帝国皇帝の全権を大日本帝国天皇陛下に委譲するのが、最も現実的である。宋秉畯
こうして1910年8月22日、韓国併合ニ関スル条約が結ばれ、日韓併合がスタートしたのです。

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