日韓併合へ
しかし独立を果たしても大韓帝国には国家運営能力が備わっていませんでした。
国土は荒廃し、慢性的な食糧不足の状態が続き、
企業で言うといわば倒産寸前であったのです。
さらに日韓併合に否定的であった伊藤博文総理が、朝鮮人テロリスト安重根によって
暗殺されたことで、日韓併合への道は決定的となりました。
当時朝鮮最大であった[要出典]政治組織「一進会」は、韓国皇帝(高宗)、首相(李完用)に
「韓日合邦」の奏上文を提出しました。
彼らは日本と韓国が連邦制をとる「合邦」を目指しましたが、余りにも国力・文明がかけ離れていたため
「併合」の道を進みました。
「日韓双方の国力の差・文明の程度の差から「日韓対等合邦」は事実上不可能であり、
「連邦制」では欧米列強に対抗する様な強固な国家は建設できない。
従って、日韓が一体となり列強に伍す強固な国家を建設するには、
大韓帝国皇帝の全権を大日本帝国天皇陛下に委譲するのが、最も現実的である。宋秉畯
こうして1910年8月22日、韓国併合ニ関スル条約が結ばれ、日韓併合がスタートしたのです。