三沢 光晴(みさわ みつはる、本名は三澤 光晴、1962年6月18日 - 2009年6月13日)は
、日本のプロレスラー。1981年に全日本プロレスにてデビュー。同団体のトップレスラー
として活躍した後、2000年にプロレスリング・ノアを旗揚げ。レスラー兼社長として同 ...
今、若者が頭に血が上るとすぐに、“殺す”とか口走るようだけど、そんな言葉はオレには使えない。人ひとりの人生を殺すとか、殺さないとかね。そこまで育つためにいろんなことがあっただろうし、それを全部、オマエは背負えるのか? その覚悟はあるのか?それは、オレだって背負える自信はないし、実際に背負えない。その辺の人生の重さ、命の重さ、人の痛みを考えてほしい。ケンカして、頭に血が上っているときに、そこまで冷静になるのは難しいかもしれないけどね。
出典 真っ直ぐ、前を——:馬場さんが亡くなったときのこと 〜三沢光晴インタビューから〜
(欠場しろと言うけど)年に1回しか地元に来ないプロレスの興行を観に来て、俺が出てなかったらお客さんはどう思うと思う?
出典 プロレス最強王者列伝 第14回 三沢光晴(2/2) - OCNスポーツ 格闘技コラム
俺の場合は、何事も次はないよ、という人間だからね。明日、頑張ればいいじゃないか、というけど、いや、それは違うんじゃないか、と。人生には、たら、ればがないと思っている人間なんで、ああやったら、こうやったら、そんなことあとから言ったって始まらないじゃないですか。一生できるもんじゃないですからね。やれるうちは一生懸命やろうよ、ということですよ。
出典 プロレスの達人
全日本を辞めても契約で出なきゃいけない興行があって、入場の時に『裏切り者!』って聞こえるんですよ。つかまえて聞きたかった。『あなたにとって裏切りとは何ですか』って。ファンは大切だけど、その人の思い込みに何でオレが従わなければいけないんだ。オレの人生をその人が保証してくれるのか。オレは金で動いたわけではない、自分の意志で辞めたんだって言いたかった。
出典 日刊スポーツ2001年7月1日号
とにかく純粋に「プロレスをやってみたいな」っていう気持ち。お金の事も一切考えなかったですね。「いくらぐらいもらえるんだろ」ってのも、ありませんでしたね。「男と生まれたからには、何か残したいな」って事だけですね。だからデビューした時には、ホントうれしかったです。
出典 三沢光晴×安居智博
プロレスって何でもありだからプロレスっていう風に思ってますからね。だからコレがプロレスってものはないですね。それは見る方が決めればいいと思いますよ。
出典 三沢光晴×安居智博
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