1959年2月3日、ロックンロール創成期のアメリカのロックスター、ザ・ビッグ・ホッパー、リッチー・ヴァレンス、バディ・ホリーの3人が搭乗した小型飛行機の墜落によって死亡した。ホッパー28歳、ヴァレンス17歳、ホリー22歳という若さであった。
スター3人の死はアメリカの音楽業界に大きな衝撃を与えた。後のスターであるドン・マクリーンは楽曲「アメリカン・パイ」の中でこの日を「音楽が死んだ日」と表現し、いつしか彼らの死を示す言葉として受け継がれるようになった。
写真は飛行機に搭乗する前に撮られた3人の最期の姿である。
1970年2月22日。オーストラリアの14歳の少年キース・サップスフォードがシドニー空港から飛び立つ日本行きの飛行機から転落死した。カトリックの寄宿舎に入れられそうになったキース少年は、それから逃れる手段として世界へ旅立つことを選んだ。
キース少年は父から密航を企て飛行機の車輪部分に隠れて死亡したスペイン人少年の話を聞かされていた。好奇心旺盛な息子への父からの警告だったが、キース少年はこれで寄宿舎行きを回避できると考えた。そして彼はスペイン人少年と同じ運命を辿った。
彼の最期はアマチュアカメラマンのジョン・ギルピンがとらえた。ギルピンは離陸した飛行機を撮っただけだと思っていた。現像した写真を見て、初めてそこに落ちゆくキース少年の姿があると知った。
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1977年3月5日に開催されたF1南アフリカGPで、レーサーのトム・プライスが死亡した。
トムは同じレースに出走していたレンツォ・ゾルジの車の火災に対応しようとコースを横切ったスタッフのジャンセン・ヴァン・ビューレンを撥ねてしまった。最高速度300km/hを超えるF1を操縦するレーサーは、突然コース上に現れた人間に対応する術を持たなかった。
さらに最悪なことに、ジャンセンは火災を収めるために消火器を手にしていた。消火器は撥ねられたジャンセンの手から滑り落ちてトムの顔面に直撃した。ヘルメットは割れ、トムの顔面は激しく損傷した。即死だった。
写真はレース出走前に撮られたトムの姿。
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1977年8月16日、アメリカ史上最高のロックンロールスター、エルヴィス・プレスリーが死亡した。その死は予期しない出来事であり、死因も特定されなかったことから、現在に至るまで様々な憶測を呼ぶことになる。
写真は知り合いの歯科医師、レスター・ホフマンに歯の治療の予約をした後車で去っていくプレスリー。この写真が撮られた翌日にプレスリーは亡くなった。
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1990年にアメリカの14歳の少女レジーナ・ケイ・ウォルターズがボーイフレンドのリッキー・リー・ジョーンズと共に失踪した。2人はヒッチハイクでメキシコに向かう計画を立てたが、その途中で忽然と姿を消したのだ。
後日トラックドライバーのロバート・ベン・ローズが逮捕された。ロバートはヒッチハイクで拾った女性に車内で暴行し殺害することを繰り返していたが、最後の悪行の最中に通りかかった警察官によって取り押さえられていた。ロバートの一連の事件の被害者の1人がレジーナだった。
写真はロバートが撮影したレジーナの最期の姿。ボーイフレンドのリッキーはロバートのトラックに乗り込んだ直後に殺害されていた。恐怖から従順になったレジーナをロバートは執拗に攻撃し、最後は殺害することを告げ、恐怖に歪む彼女に嘲笑うかのようにカメラを向けた。
1993年2月12日、イギリスの2歳の幼児ジェイムズ・バルガーが誘拐され、2日後に遺体で発見された。
ジェイムズはショッピングセンターで買い物中の母親を待っていた時に連れ去られ、人気のない水路で激しい暴行を受けた。瀕死となったジェイムズは線路に放置され、列車に轢かれて死亡した。
犯人はジョン・ヴェナブレスとロバート・トンプソンの2人組。彼らは共に10歳の少年だった。子供による残虐な事件はイギリスのみならず全世界を震撼させた。
写真は防犯カメラがとらえた誘拐の瞬間。ジェイムズの手を引くヴェナブレスと2人の前を歩くトンプソンの姿が見える。
1997年3月9日、史上最も偉大なラッパーの1人ノトーリアスB.I.Gが何者かからの銃撃を受けて死亡した。B.I.Gはヒップホップマガジンが主催したパーティから車で帰宅する途中だった。
写真は車に乗る寸前に撮られたB.I.G。彼が死亡したのはこの写真が撮られた直後だった。
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1999年4月2日、アメリカのコロンバイン高校で在校生のエリック・ハリスとディラン・クレボルトによる銃乱射事件が発生。教師ウィリアム・デイヴ・サンダーズは校内のカフェテリアにいた生徒たちの避難を誘導したが、その最中にエリックらに撃たれ数時間後に死亡した。
写真は監視カメラに残されたデイヴの生前最期の姿。
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