ドイツ(バイエルン王国)の衛生学者、化学者。姓はペッテンコーフェルとも表記される。化学的手法を用いて衛生学の発展に寄与し、ミュンヘン大学にドイツ初の衛生学講座を設立してその教授を務めた。「近代衛生学の父」「環境医学の父」「実験衛生学の父」とも呼ばれる。
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「それはドイツの細菌学者、マックス・フォン・ペッテンコーファーのことです。」
「その事実は、当時の衛生学の記録がまとめられた『メディシンカルテル』に書かれています。」
さらに「メディシンカルテル」にはその詳細が書かれていた。
かろうじて一命を取り留めた。
【補足トリビア】
①当時74歳のペッテンコーファーに対し、49歳のコッホは「あなたは最新の学問に遅れをとっている」と厳しく批判し、怒ったペッテンコーファーは「私は“無価値な肉体で実験せよ”という旧来の医学の原則に従って行動する。もし私の考えが間違っていてこの実験によって命を落としても死を恐れない。なぜなら学問のために死ぬのだから」と高らかに宣言し、コッホの目の前でコレラ菌を飲み干した。
②その夜激しい下痢に見舞われ苦しんだが、幸いにも中毒症状を起こすまでには至らず一命を取り留めた。身をもってコレラ菌の存在を証明する形となってしまい、この事件を機にペッテンコーファーは一線を退くことになった。
病気の発生理論に関わる見解の違いから、ロベルト・コッホらと論争を行い、コレラの病因論争において、コレラ菌を自ら飲んだエピソードでも知られる。
1893年のこの日、ドイツの衛生学者マックス・フォン・ペッテンコーファー(Max Josef von Pettenkofer, 1818-1901)が自説の証明のため、自らコレラ菌を飲みました。
当時、コレラが蔓延している原因として瘴気説(しょうきせつ)が唱えられていました。これは、汚染された土壌からたちこめる瘴気がコレラを起こすという説で、患者と直接関わる医師がコレラに罹患しないことなどから多くの人に支持されていました。
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