不倫・育児放棄・失踪・共産主義・死ぬまで煩悩まみれの大僧正:瀬戸内寂聴

この人に叙位叙勲?岸田総理はやっぱりおかしい

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瀬戸内寂聴とは?

瀬戸内 寂聴(せとうち じゃくちょう、1922年〈大正11年〉5月15日 - 2021年〈令和3年〉11月9日[1])は、日本の小説家、天台宗の尼僧。俗名:晴美(はるみ)。僧位は権大僧正[2]。1997年文化功労者、2006年文化勲章[3]。位階は従三位。学歴は徳島県立高等女学校(現:徳島県立城東高等学校)、東京女子大学国語専攻部卒業。元天台寺住職、同名誉住職。元比叡山延暦寺禅光坊住職。元敦賀短期大学(当時は敦賀女子短期大学)学長。徳島市名誉市民[4]、京都市名誉市民[5]、二戸市名誉市民[6]。
作家としての代表作は、『夏の終り』『花に問え』『場所』など多数。1988年以降は『源氏物語』に関連する著作が多く、新潮同人雑誌賞を皮切りに、女流文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞などを受賞した。 大正・昭和・平成・令和と4つの時代を生きた作家である[7]。

徳島県徳島市塀裏町(現・幸町)の仏壇店(瀬戸内商店)を営む三谷豊吉・コハルの次女、三谷晴美として生まれ、体が弱く、本を読むのが好きな子供だった。後に父が従祖母・瀬戸内いとと養子縁組したため、晴美も徳島高等女学校時代に三谷から瀬戸内姓に改姓。
東京女子大学在学中の1942年に20歳で酒井悌(1913-1992 徳島市生)と見合いして婚約。1943年2月に結婚し、10月に夫の任地北京に渡る。1944年8月1日[8]、女の子を出産。1945年6月夫が召集、8月終戦と共に帰宅。1946年、8月に一家3人で徳島に引き揚げ、夫の教え子の文学青年と不倫、夫に打ち明ける(晴美25歳 夫34歳 相手21歳)。1947年秋に一家3人で上京[9][10][11][12][13][14][15][16]。
1948年に夫と3歳の長女を棄て家を出て京都で生活。大翠書院などに勤めながら、初めて書いた小説「ピグマリオンの恋」を福田恆存に送る。

1950年に正式な離婚をし(長女とは後年出家後に和解したという)、東京へ行き本格的に小説家を目指し、かつての本名であった三谷晴美のペンネームで少女小説を投稿し『少女世界』誌に掲載され、三谷佐知子のペンネームで『ひまわり』誌の懸賞小説に入選。少女世界社、ひまわり社、小学館、講談社で少女小説や童話を書く。また丹羽文雄を訪ねて同人誌『文学者』に参加、解散後は『Z』に参加[17]。

つまり数年不倫してた夫の教え子をとって3歳児と夫をポイ捨てしたわけですね。

家族を顧みず、不倫を推奨するような本を書き、共産主義に傾倒したク○坊主が、まさかの叙位叙勲を受賞するカオス

松野官房長官は瀬戸内さんの死去について11月11日の会見で「女性の生き方を真正面から、問う小説家として文筆活動で大きな功績を挙げられるとともに、流れるような文体で、源氏物語の現代語訳を完成させるなど、日本文化に多大なる貢献をなされた」と哀悼の意を述べていた。
叙位は11月9日付け。

発言がたびたび批判されてきた

こんにちは。ここ数か月狂ったような偏向報道ばかりで気分が悪くなってます。

この生臭坊主をTVは大好物のようで昔から出してますが、ここ最近また大きく取り上げてますね。
深イイの少し前は同じ日テレの受けたい授業、他局でも若いマネージャー絡みで生臭坊主特集。
大昔のイメージはTVでよく見る尼さん程度だったのですが、
震災後は反原発会見に大江健三郎、坂本龍一、落合恵子らと並んで演説。
うわそっちなんだと改めて気づきました。
その後の発言も共産の思想のまんま、不倫に甘く、偉そうに説教する一方、
安倍さんを始め気に入らないのに対しては悪口ばかり。
しかも当時あのシールズを誉めたりと露骨でしたね。尼さんの皮をかぶった活動家です。
(悪口といえば某美輪氏も人の悪口はダメと説教する一方で安倍さんを口汚く罵倒。正体みたり)

深イイといえば、以前野田聖子とあの山尾を密着してベタホメしてた番組ですし今回またやらかしましたね。
あと日テレはこの共産坊主といい、なんか最近共産寄りネタ目立つんですよね。
ここ数か月の森友騒動で野党側の反論で扱われるのは共産小池か辻元ばかりですし、
あと、書籍でなぜかずっと売れてるという漫画「君たちはどういきるか」

これを大きく取り上げるのは日テレくらいですし。以前に受けたい授業で2度も扱ったり。
原作者の吉野氏は共産系から隠れ蓑で児童作家になった人だそうでそういうことかと。
授業では裁判で言い返して無罪になったとかっこよく紹介してました。
すっかり左派がバレたジブリ宮崎監督新作もこの作品がメインのようですし。
マスコミと組んだ共産の侵攻ぶりが不気味です。
日テレは報道も媚韓ぶりも偏りがかなりひどいですし、
アカヒTBSみたいに元から偏向がバレてるTV局じゃない分、偏向ぶりが際立ちますね。

私も93歳 ぶれない党好き
作家・僧侶 瀬戸内寂聴さん

 私は「赤旗」もずっととってますけど、共産党の好きなのはね、ぶれてない。
ずっとぶれてないのは共産党だけです。言うこともね、いつも、まあ頑固ですけどね(笑い)、
だからその点、もう非常に信頼できますよね。

 私はね93年生きてきたでしょ。もう93(歳)なんですよ、満で。
93年生きてきたなかで、意識がありだしてからでも、いちばん悪い時代じゃないですか、いまが。
そう思いますね。もうほんとに悪いです、いまの安倍さんのやり方は。どうかしてるんじゃない?
 人の言うこと聞かないですもんね。何か憑(つ)いてるんじゃないかと。(笑い)(略)

 でもいま共産党、ずんずん、とても勢いがいいじゃないですか。
私、ずっと共産党に入れてるんですがね、いくら入れてもちっとも増えないし、
「おたくちっとも増えないじゃないの」って怒ってたのね(笑い)。
そしたら最近、どんどん増えてきてね。なんかあの、入れ甲(が)斐(い)がありますよね。

上記はしんぶん赤旗に掲載された文らしい、共産主義は宗教を認めておらず、その点からも寂聴さんにとって宗教とかどうでもよかったことが伺える。

僧侶らしからぬ豪華な生活っぷりに視聴者唖然

4月2日に放送された『人生が変わる1分間の深イイ話』(日本テレビ系)の2時間スペシャル版で、僧侶の瀬戸内寂聴の日常生活が紹介された。女性秘書と瀬戸内が仲睦まじく生活している様子が好評だった反面、瀬戸内の華麗な生活を疑問視する意見も相次いでいる。

秘書はスケジュール管理や自宅の掃除、食生活の管理まで幅広い分野で瀬戸内の生活をカバーしており、食事のシーンでは秘書が霜降り肉を焼く場面があった。瀬戸内は「(お肉)いっぱいあるんでしょ? どうしてケチケチするの?」と高価そうな肉をたくさん焼くように指示した。

さらに、昼間から瀬戸内は「のどが乾いたらビール」と言い、ビールを飲み始めた。アルコール度数が低いビールをチェーサーに、度数の高い酒も口にしたほか、番組スタッフにもお裾分け。ロケはさながら飲み会と化していた。

95歳の瀬戸内だが、テレビ撮影のときはつけまつげを付け、美顔ローラーを顔や頭に当てるなど“美意識”の高い様子も見せていた。

僧侶らしからぬ生活ぶりに…

ツイッターでは衣食住に制限を設けない瀬戸内の姿を見て《肉と酒を愛し、仏門にいる身とは思えないほど「生」を謳歌しているように見える》と、僧侶らしからぬ生活を好意的に捉える声もあった。

だが一方で、贅沢な暮らしぶりには批判の投稿が多く寄せられた。

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