「ブランド」というからには、もちろん特別な品質を持っているということは確か。
産地や血統、格付けや育て方など、厳しい基準をクリアしたものだけがブランド牛とされています。
三大和牛といわれる「神戸ビーフ」「松阪牛」「近江牛」は、これまで世界の食通たちの舌をうならせてきました。今、こうしたおいしい肉づくりは全国に広がり、ご当地自慢のブランド牛が続々と誕生しています。
ブランド牛だからといって品質などに特別な規定があるわけではありませんが、ブランド牛は第三者の格付けによって肉の品質が評価されています。特定のブランド牛を全面に出している肉料理の専門店などを訪れたいときは、その評価も少しは参考になるでしょう。
スーパーやお肉屋さんで見かける「和牛」と「国産牛」。実はこの2つ、違うものなんです。
和牛は有名な「黒毛和牛」や「褐毛和種」など、肉質のいい決められた品種のものだけを指し、国産牛は「日本国内で肥育された期間が一番長い牛」を指します。
国産牛は、海外で生まれ育った牛の場合もあるのです。
米沢牛の歴史は古く1800年代後半に遡ります。「成せばなる 成さねばならぬ なにごとも」で知られる上杉鷹山公が興譲館という藩校を開校した明治4年ごろに教鞭を執ったチャールズ・ヘンリー・ダラス氏が、牛肉を食べたのが食用としての米沢牛の始まりです。
当時の牛肉の味わいに感動したダラス氏は、任期を終えて米沢を離れる際に牛を連れて横浜を訪れ、友人たちに牛肉の旨さを伝えたことにより米沢牛の名が全国に広まったと言われています。
伝統の味わいと美味をあわせもつ類い稀な牛肉。その霜降りの極め細やかさはまさに口の中でとろけるようです。食べたときに感動を味わえる牛肉、それが米沢牛であり、米沢牛の醍醐味です。
米沢牛は、焼肉やステーキ、サイコロステーキ、しゃぶしゃぶ、すき焼きなどさまざまな食べ方で味わうことができます。
和歌山・三重両県の南部をまたがる熊野地域は、熊野三山に代表される信仰の場です。
平安時代、現世の来世の平穏・幸福を求めた貴族の人々が大勢の従者とともに熊野を訪ねた様は、『蟻の熊野詣』と形容され、今に伝えられています。
熊野牛は、県の南部「熊野地方」で昔から飼われていた和牛でした。
その後、選び抜かれた血統を取り入れ、品種改良を行うことで、
和歌山県特産の高級和牛「熊野牛」が誕生。
松阪牛は黒毛和牛の未経産の雌牛限定で、松阪牛個体識別管理システムに登録され、松阪牛生産区域での肥育期間が最長・最終である牛と言う条件をクリアし出荷された牛が松阪牛と認められます。
そもそも松阪牛は、遡ること江戸時代に紀州(和歌山県)の税金として扱われていました。生まれて間もない但馬牛が紀州に税金として送られ、農業のために使われていた牛が祖先です。
20世紀中ごろまでは、仔牛が生まれたときから肉牛として肥育することがなく、農業用に使った牛を1年ほど休ませて太らせてから食肉としていましたが、太平洋戦争の後から食肉用としての飼育がスタート、松阪肉牛共進会が始まります。
松阪牛は一頭ごとに部屋を仕切り、常に清潔に保たれた状態で過ごします。暑さ寒さには適切な温度管理がなされ、牛がストレスを感じないように工夫された環境で肥育されています。
三田牛(三田肉)の基準は、三田肉流通振興協議会の規約により定められています。
その一、牛を育てる人が
指定生産者であること。
(三田市内の生産者および三田肉流通振興協議会に指定された生産者)
その二、育てる牛が
「兵庫県内産黒毛和種(ひょうごけんないさんくろげわしゅ)(但馬牛(たじまうし))」であること。
その三、育てる期間が
生後28ヶ月以上であること
その四、育てている間
指定生産者以外への移動歴がないこと。
その五、出荷は
三田食肉(さんだしょくにく)センターへ出荷され、厳しい検査に合格したもの
三田牛はどの牛でも三田牛と呼べるわけではなく、仔牛のときから厳正に選ばれ指定の生産者に丹精込めて育てられた牛のみを三田牛と呼ぶことができます。
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