(1)共同声明において、両首脳の間で、四島の帰属の問題を解決し、平和条約を可能な限り早期に締結し、もって両国関係を完全に正常化すべきとの「決意」を確認した。
(2)「日露行動計画」において、56年日ソ共同宣言、93年東京宣言、2001年イルクーツク声明の3文書が具体的に列挙され、その他の諸合意と併せ、今後の平和条約交渉の基礎とされた。
【石破茂の勘違い】北方領土「2島返還」「2島+α」「4島一括返還」時系列で追ってみた!
石破茂は、日ソ共同宣言 安倍晋三首相がロシアとの北方領土交渉をめぐり事実上「2島先行返還」に進もうとした場面において、「小さな領土を一つでも失うと、やがて領土を全て失う」とし、4島返還の原則から後退しないよう訴えた。
「2島返還」「2島+α(プラスアルファ)」「4島一括返還」の議論は、何が前進で、何が後退なのだろうか?時系列で追ってみると、石破の勘違いポイントが見えてきた。
もんろううぉーく さん
石破氏は、イルクーツク声明も「4島返還」の根拠としているが、これも日ソ共同宣言が出発点である。東京宣言に基づいて解決していくと、声明を出しただけ。
「4島を返還する」という声明は出していない。 これを4島返還の根拠にするには、あまりにも無理がある。
東京宣言&イルクーツク声明で、4島返還の道が開けたと思いこんだ小泉首相(当時)は、4島返還を譲らないばかりに、ロシアとの溝を大きくしてしまった。
このため、10年にも渡り、北方領土問題が日ロ間で協議されることがなかった!!!
(1) 戦後67年を経て日露間で平和条約が存在しないことは異常であるとの認識を共有し,双方の立場の隔たりを克服して,2003年の共同声明及び行動計画において解決すべきことが確認されたその問題(四島の帰属の問題)を最終的に解決することにより平和条約を締結するとの決意を表明した。
(2)平和条約問題の双方に受入れ可能な解決策を作成する交渉を加速化させるとの指示を両国外務省に与えることで一致した。
北方領土問題について,外相間で突っ込んだ議論を行い,事実上一時中断していた平和条約締結交渉を再開。10月8日に次官級の平和条約締結交渉の実施を確認。
これまでの交渉の停滞を打破し,突破口を開くため,双方に受入れ可能な解決策の作成に向け,今までの発想にとらわれない「新しいアプローチ」で,交渉を精力的に進めていくとの認識を両首脳で共有した。
出典 日露首脳会談 | 外務省
日露双方の歴史的な解釈や法的な立場に違いはあるも,その上に立って,双方に受入れ可能な解決策を作成していくことを確認し,今後の交渉に弾みを与えるような前向きな議論を行った。
出典 https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_rekishi.html
北方領土は日本固有の領土です。北方対策本部は北方領土問題の解決の促進のための施策を推進するため内閣府に設置された機関です。
安倍総理から,平和条約締結問題については,ソチでの会談を踏まえ,我々首脳同士でしっかりフォローしたい旨述べました。その後,両首脳二人の間で,時間をかけて,真剣な中にも打ち解けた雰囲気の中で,「新しいアプローチ」に基づく交渉を具体的に進めていく道筋が見えてくるような議論が行われました。
1 安倍総理から、ウラジオストクの会談で時間をかけて真剣に話し合った結果を受けて、この2か月半の間、更に考えを深めて
きたと述べました。
2 プーチン大統領から、両国外務省間で平和条約締結交渉が継続していることへの言及がありました。この問題については、その後、
両首脳だけの間で意見交換が行われました。
1 両首脳二人の間で、ソチ、ウラジオストク、リマでの会談を踏まえ、元島民の方々の故郷への自由な訪問、四島における日露両国
の特別な制度の下での共同経済活動、平和条約問題について率直かつ非常に突っ込んだ議論を行いました。元島民の方々から
託された手紙をプーチン大統領に直接伝達しました。
2 議論の結果、平和条約問題を解決する両首脳自身の真摯な決意を表明するとともに、四島において共同経済活動を行うための特
別な制度に関する協議の開始に合意しました。北方四島の未来像を描き、その中から解決策を探し出す未来志向の発想の「新しい
アプローチ」に基づき、平和条約締結交渉の枠の中で今後協議。また、元島民の方々が自由に墓参・故郷訪問したいとの切実な願
いを叶えるため、人道上の理由に立脚して、あり得べき案を迅速に検討することで合意しました。
安倍総理がロシアと協議を再開してから、わずか3年で、4島の共同経済活動にまで、話が進んだ。 いままで、数十年かかって、ここまで踏み込んだ協議が出来なかったのに、わずか3年で返還の兆しが見えてきた。
以上が北方領土交渉の歴史的経緯だ!石破氏も、これで経緯を理解できたはずだ!
しかし、60年に日米安保条約が改訂されると、ソ連は「外国軍が駐留する国とは、領土問題は存在しない」と主張し、4年前の日ソ共同宣言の中にある「9項」について反故(ほご)にしてきた。領土問題はないというから、日本は強く四島即時一括返還を主張したのである。「四島一括返還」という表現は、あくまでソ連時代の日本の主張なのである。