斉藤誠司とは?海外プロサッカー選手の人生
海外10ヵ国のプロサッカーリーグで活躍した斉藤誠司。日本時代は柏レイソルに所属、各年代別の日本代表でプレーした(ヤフーニュース、スポナビ記事からの引用)
そんな時に知人の紹介で日系ブラジル人の交流会に行ったんですが、そこでスミエさんとの出会いがありました。少しお話をしたんですが、次の日から毎日のように夕食に誘ってくれて話を聞いてくれて、本当の家族のように接してくれました。当時僕は一人暮らしをしていましたが、まだ若かったせいか色々と心配をしてくれていたようで、家に部屋が1つ空いてるから明日から住みに来れば?家族もたくさんいるから楽しいと思うよ!って声をかけてくれたんです。
それから3ヶ月間くらいは一緒にスミエさん家族と住ませて頂き、みんなと一緒にご飯を食べて色々な会話をして、日系ブラジル人についての歴史なども教えて頂きそこから練習場に毎日通っていました。ブラジルの母からは人生について色々な事を教えてくれました。ブラジルでは大きな会社を経営して活躍されていますが、それまでの道のりは苦労と挫折の連続だったけど、でも自分には夢と目標があったからどんな時でも応援してくれる家族と仲間がいたから乗り越えてこれたと言われました。だから「誠司も諦めず日本には帰らないでブラジルでもっと頑張りなさい。人生は1度しかないんだから絶対に後悔はしないこと。人は夢がなくなったら人生は終わってしまう。だからどんなに小さい事でも良いから夢と希望を持ち続け生きなさい」と言われました。まずはサッカー選手と言うよりも人間として成長していかないといけないと実感しました。
【—ブラジル時代はたくさんの日系ブラジル人に応援され斉藤選手のファンクラブや応援団があると言われていますが詳しく聞かせてください】
僕の人生の中でブラジルの母との出会いは大きかったです。その関係でブラジルに住むたくさんの日系人の方が応援してくれ、僕のファンクラブや応援団なども作ってくれました。僕の誕生日やシーズンオフには、いつもフェスタを開いてくれ100名以上の日系人の方がきてくれました。最初は国も人種も言葉も文化も違く全然僕の事を知らなかった人達ですが、頑張っていればサッカー1つでこんなにたくさんの人達との出会いがあり、応援してくれる人がいる。スポーツの力と魅力は本当に凄いと思いました。人間は決して1人だけじゃ生きていけないんだと実感しました。
【—海外での1日の練習スケジュールは?オフの過ごし方など教えてください】
基本は午前10時から12時までチーム全体練習がありまして、土曜日が試合で日曜日がオフとなります。1日2時間しか練習がないので、暇の時間がありますが、友人とカフェやご飯を食べに行ったり、ブラジルにあるスクール生達の練習メニューを現地スタッフと連絡を取りながら考えて子供達の練習風景のビデオチェックをしたり、あとは選手生活に支障が出ない程度に、各国のサッカー代理人と情報交換をしてコーチングやマネージメントなどの勉強もしています。去年からはユース世代の選手を集め社会人チームを作り、国内のプロチームと練習試合をして選手の売り込みをしています。もちろんブラジル国内で、そのような活動する為には色々な資格が必要なので、一緒に仕事をしているスタッフ仲間協力の元に活動しています。サッカー選手としても同じ夢や目標を持った仲間達とする仕事は最高に楽しいです。
【—インドリーグから高額年俸でオファーがありましたが「なぜ」移籍したんですか?】
ポーランド1部リーグでプレーをしていたんですが、夏の移籍期間で代理人にインドからオファーが届いてると言われたんです。契約内容も当時プレーしていたチームより2倍以上良かったですし、最初のイメージとは違いインドチームの環境も良く立派なスタジアムと練習場がありました。ですがまだ26歳でしたので30歳まではヨーロッパでチャレンジしたい気持ちではありました。でも当時夏の移籍期間でヨーロッパチームから良い条件でオファーがなかったので代理人と相談して1年間だけアジアで実績を作って、またヨーロッパに戻ってくれば良いと言われたんです。無理にヨーロッパに残るより、チームが自分を必要としてくれる場所に行って試合に出た方が今後の為になると言われたんです。
インドも1チームに4人の外国人枠があり、元スコットランド代表選手とナイジェリア代表の選手がいたので外国人選手のレベルは凄く高かったです。アジアもレベルは低いと言われますが1チームに契約できる外国人枠が4人までなので、その中には各国の代表選手や1部リーグでプレーしてきた選手ばかりなので、外国人枠は凄くレベルが高いと思います。インドでも外国人選手達は凄く意識が高く真面目にトレーニングをしていたし外国人として海外チームで生き残る為には、ただサッカーが上手でも駄目で精神的な部分やその他にも色々と彼らから学ぶ事はたくさんありました。もちろんサッカー選手として上を目指すのは当たり前な事ですが色々な国でプレーする事によって人間として成長できる環境であるとは思います。
【—小学生の頃にイジメにあっていたのは本当ですか?】
小学6年生の時ですね。今考えれば16歳で1人でブラジルに行った時の方が10倍辛かったですけど(笑)。オフの時に日本でサッカー教室や学校で講演会など子供達と触れ合う事がありますが、校長先生からもイジメられた経験を話してくださいとお願いされます。ですがあくまで自分の経験した事を話してるだけなので、自分の考え方が全て正しいとは思っていません。でも自分はイジメられた事によって自分の弱さを知る事ができましたし、人の気持ちや、助けてくれた人達の優しさを知る事が出来ました。でも自分には夢や目標があったから乗り越えられたと思います。
イジメられても挫折してもどんなに弱い人間だったとしても人生は何処からでも自分次第でやり直せると思いますし、その経験は無駄にはならないと思います。それは自分が大人になった今でも同じ事ですし、人生は良い時もあれば悪い時もありますし逃げようと思えば逃げ道はたくさんあると思います。だからこそ悪い時にどれだけ自分を信じて頑張れるかだと思います。
【—海外では試合に負けると外国人選手や監督が急にクビになる事は本当ですか?】
はい、本当です。チームが3試合連続で負けると外国人選手を1人クビにして新戦力として新しい外国人選手を呼びますね。試合に勝てば天国ですが試合に負けると地獄です。試合に負けた次の日は新聞記事でも色々と批判されますし、オフの日に外出をしていると道やお店の中でサポーターに会うと文句を言われたりする時もあります。酷い時は「遊んでないで練習しろ!給料泥棒!日本に早く帰れ!」とか怒鳴られます。逆に試合に勝つと新聞には良い事を書かれますし、道を歩いていても応援してくれたりレストランやカフェ店で食事をしているとお店側がご馳走してくれたりもします。でもブラジル時代の時が1番酷かったです。ブラジル社会では日系人や日本人に対しては凄くリスペクトされていて尊敬されています。ですがサッカーになると逆で日本人選手にに対する批判や差別が凄くあります。でも若い時にブラジルでプレーしていたからこそ、選手としても人間としても強く成長はできたのかもしれません。
【—これから海外にチャレンジする若い人達にアドバイスはありますか?】
サッカーに限らず夢や目標があれば失敗を恐れずに若い時にチャレンジするべきだと思います。僕も16歳で海外のチームに移籍して成功か?失敗か?は正直には分かりません。その時に反対した人達の方が多かったです。でも自分で決めた道なので後悔はしていませんし、だからこそ責任を持って最後まで頑張る事が必要だと思います。人生1度しかないので、夢や目標があるなら失敗を恐れずチャレンジするべきだと思います。チャレンジしない後悔よりもチャレンジして失敗した後悔の方が良いと思いますし、そのチャレンジによって自分を知る事や学べる事もたくさんあり人間としても成長できると思います。僕も言葉で伝えるのは苦手な方ですが、人それぞれ価値観や考え方や生き方が違うので、何が成功で?失敗か?は人によって違うと思います。だからこそ自分の道を進んで自分らしく生きていけば良いと思います。今は「過去の自分が今の自分」を応援してくれてるので、どんな時も頑張っていけてるんだと思います。
【—現役生活も12年目になりますが、今後の目標を聞かせてください】
残りのサッカー選手としての人生は決して長くないと思いますが、自分の身体とメンタルが持つ限り頑張って行きたいと思います。ですがサッカー選手としての引退はいつかはあると思いますが、これから先の人生を生きていく中で人間としての「人生の引退」はないと思うので、どんな時も諦めず「自分はどう生きたいのか?どんな人間になりたいのか?」自分と日々向き合いながらサッカーの世界で頑張って行きたいと思います。そして今まで応援してくれ支えてくれた家族やサッカー関係者様、仲間達には本当に感謝しています。
~FOURFOURTWO BRAZIL~
斉藤選手の海外でのプロサッカー生活12年間はサッカーを通して常に自分と向き合ってきた結果です。
これからも斉藤誠司選手の活躍を応援しています。
今回はインタビューに答えて頂きありがとうございました。
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