1996年に「危機遺産」リストに加えられた。
危機遺産リストからは2007年に一度取り除かれたが、ホンジュラス政府の要請によって2011年の第35回世界遺産委員会で再び危機遺産リストに加えられた[2]。その背景には、違法伐採、密猟、土地に不法占有が直接的な原因であるが、さらには、遺産を管理しているホンジュラス政府が、治安の悪化と麻薬の密輸に労力を割かざるを得なくなり、管理しきれなくなっていることも背景として挙げられる