草加せんべいは本来この「塩せんべい」ですが、江戸時代、利根川沿岸で醤油が造られるようになると、焼せんべいに醤油を塗るようになりました。草加では、専らこの醤油せんべいが売れるので、従来の塩せんべいは醤油せんべいに代わりましたが、名前は古くからの塩せんべいと言われつづけてきました。
このように醤油塗りの焼きせんべいが日光街道「草加」の名物になった理由は、良質の米が獲れ、また良質の水と良質の醤油が身近にあったためといわれ、さらに永い伝統により熟練された製造方法で造られ、長い日光街道の間食としても好まれ、値段も手ごろで軽量であったことによるものです。
侍が茶店に立ち寄り「おせんさん、お団子をつぶして天日で乾かして焼餅として売っては?」と教え、おせんさんは早速売り出してみたところ、お客様に好評で喜ばれ、日光街道に名物が出来たというのが今の草加せんべいと言う説もあるとか・・・