ハーフィズ・アル=アサドの死後、2000年1月、住民投票により息子であるバッシャール・アル=アサドが後継者となった。
バッシャールは、シリアの最高学府であるダマスカス大学医学部を卒業後、軍医として働き、1992年には英国に留学し、ロンドンの病院で研修していた医師であった。
バッシャールには政治的経験がほとんど無かったが、体制内部の腐敗一掃とあらゆる分野での改革を訴え、党や政府の高官は次々と腐敗の容疑で逮捕されていった。
生来の温厚な性格もあって、憲法で承認された絶大な大統領権力は、バッシャール時代になるとあまり行使されなくなった。
しかしながら、改革派として期待されたバッシャールは権力を握って以来の10年間で、シリアの人権を改善させることに失敗したとされる。