明治の日本をアメリカに紹介した画家
19世紀の米国人画家 ロバート・フレデリック・ブラム
(Robert Frederick Blum) 1857-1903

ブラムにとっての日本との出会いは 16 歳の時だった。
道ばたで売っていた日本の扇を買い、
その時のことを後にこう書いている。
「今まで見たことにない、初めての物。私にとって
突然の啓示といえるできごとでした。」
そしてこの絵の好きな少年は次第に
日本への関心を高めていく。

そして、ブラムが33歳の時に 長年の夢だった
日本にやっと着いたのは
明治23年(1890年)だった。
もともとイラストレーターとして出発して、
挿し絵も描いていたブラムは
雑誌"Scribner's Magazine”の仕事で
日本に行くことになったのだ


日本は期待に違わなかった。
感激したブラムは到着して数日後、
友人に次のような手紙を送った。
「恋におちたら 相手の魅力がなにもかもを
包んでしまうということがあるでしょう?
今のところ日本は私にとってその状態なのです。
日本を私のためにこのままにして置いて
下さいと祈っています。
私は神に祝福された地に足をふみいれたのです。
私の人生の中で ぼんやりしたあこがれだった
ことが本当に実現したのです。」

当時の韓国
英国画家、エリザベス・キースのコリア1920-1940」
収録された画像をデジカメで撮影したもの。

※記事補足

米国では油彩画家というより、
パステル画家としての評価が高いようです
しっかりとしたデッサン力 興味を持った
モチーフの幅広さ
これはかつて流行った 博物学の系譜に
連なる作品群だと思います

また日本の明治期の洋画家 浅井忠
安政3年6月21日(1856年7月22日)
明治40年(1907年)12月16日)の作品も載せときます
鎖国で西洋スタイルの油絵や水彩などにほとんど
触れることのなかった日本人も開国以降 
十数年でこうした油絵 水彩画を描けるようになりました