ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問・酷い虐殺をされた。
プウエン省のタオ村で、大部分が婦人の村人42人を一箇所に集めて銃殺した。
ビンディン省で400人以上の住民を捕まえ、拷問し殺害した。
ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々に放火し焼き討ちをした。
キンタイ村の住民全員を殺害した。
九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用し、村人を殺害した。
アンヤン省の三つの村で110人の村人をナパームと毒ガスで殺した。
ポカン村では32人以上をナパームと毒ガスで殺した。
ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、
ナパームと毒ガスで殺した。
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、
防空壕の中へ押し込めて、毒ガスで殺したり、全員を盲(目を潰した)にさせたりした。
韓国軍兵士は乳幼児さえも虐殺した。