韓国軍のベトナムでの非道

Mr.pho さん

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韓国のベトナム戦争への関与

韓国政府はアメリカからの参戦要請を受けて、一九六四年、移動外科医療団とテコンドーの教官を当時の南ベトナムに派遣したのを皮切りに、ベトナム戦争と深く関わることになる。

1965年8月13日に、韓国国会がベトナム派兵に同意する。1965年9月から10月にかけて大韓民国陸軍陸軍首都師団(通称:猛虎部隊、ファイアス・タイガー、朝鮮語でメンホサタン)の1万数千兵、および大韓民国海兵隊第2海兵師団(通称:ブルー・ドラゴン、青竜師団、朝鮮語読みではチョンヨンサタン)もベトナムに上陸した。1966年9月3日には同陸軍第9師団(通称:白馬部隊)もベトナムに上陸する。

ベトナム戦争での韓国軍の作戦は、「きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する」というスローガンの下に、残虐な捜索掃討作戦を繰広げました。

韓国軍(タイガー・ブルードラゴン)の非道

韓国軍の掃討作戦は、一次的にじゅうたん爆撃等で作戦地域を公開して、地上軍が現場に投入されて村に残っている住民たちを即決処分した後、家を燃やしてブルドーザー等で村全体を押し潰す方式で展開した。

生存者の証言で共通な点は、無差別機関銃乱射、大量殺戮、妊産婦、女性に対する強姦殺害、家屋への放火などだ。

「女性と老人、子供たちを一ケ所に集めた後、機関銃を乱射して抹殺する」
「住民たちを家と一緒に、死亡者も生存者も全部燃やす」
「子供の頭を割ったり首をはね、脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む」
「女性を強姦した後に殺害して、妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す」
「住民たちを村のトンネルに追い詰めて、毒ガスを浴びせて窒息死させた」
「子供たちの口にキャンディーが含まされ、老人たちの口にはタバコが咥えられていた。村人を安心させながら、一ケ所に集めて虐殺する手段だった」

ブガツ省では、3万5千人の人たちが、死の谷に狩り立てられ、拷問・酷い虐殺をされた。
プウエン省のタオ村で、大部分が婦人の村人42人を一箇所に集めて銃殺した。
ビンディン省で400人以上の住民を捕まえ、拷問し殺害した。
ビンディン省のプレアン村では数百戸の家々に放火し焼き討ちをした。
キンタイ村の住民全員を殺害した。
九つの村々で韓国軍は、民間人に対して化学兵器を使用し、村人を殺害した。
アンヤン省の三つの村で110人の村人をナパームと毒ガスで殺した。
ポカン村では32人以上をナパームと毒ガスで殺した。
ナムフュン郡で、韓国軍は4人の老人と3人の妊婦を、防空壕の中へ押し込め、
ナパームと毒ガスで殺した。
1966年2月26日、韓国軍部隊は、137人の婦人、それに40人の老人と76人の子供も一緒に、
防空壕の中へ押し込めて、毒ガスで殺したり、全員を盲(目を潰した)にさせたりした。
韓国軍兵士は乳幼児さえも虐殺した。

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