純子の母、静美さんはある日、松永に「純子と別れて下さい」と頼みに行った。
 しかし松永はこれを言いくるめたばかりか、静美さんを言葉たくみにラブホテルに誘い出し、関係を持ってしまう。当時静美さんは44歳であった。
 だがもちろん土地持ちの豪農である緒方家の娘・純子を松永が離すはずはない。松永は嫉妬妄想にかられたふりをして純子さんを殴打し、胸に煙草の火で「太」と焼印を押し、太ももにも安全ピンと墨汁を使って同じく「太」と入れ墨を入れた。さらに肉体的暴力だけでなく、家族や親族に無理やり嫌がらせの電話をかけさせるなどして孤立させ、精神的にも追い詰めていった。
 耐え切れず、純子はある日自殺未遂をはかった。しかしこれがまた松永の思うつぼであった。松永は純子に仕事を辞めさせ、両親に向かって
「婿養子などもらって緒方の家の犠牲になるのはいやです、縁を切ってくれないならまた自殺します」
 と宣言することを強要した。松永はその上で、
「今となっては純子はお荷物でしかないが、私もまさか放り出すわけにもいかない。彼女が自殺しないよう面倒をみていきます」
 と恩に着せた物言いをして、このときも例の如く緒方家側に『絶縁書』なる書面を作らせている。この騒動により、純子は緒方家から分籍。次女である理恵子さんが婿養子をもらうことになった。
 徹底的に虐げられ、親兄弟からも孤立させられた純子は、以降なすすべもなく松永の従順な手足となって生きていくことになる。


 1985年、銀行融資を受けて松永は布団販売会社を新築。この頃が(詐欺商法まがいだったとはいえ)彼のもっとも羽振りの良かった時期かもしれない。
 しかし酷使と虐待により、従業員は1人逃げ2人逃げ、2年後には従業員は純子を含め2人だけとなってしまう。その上、1992年には詐欺や恐喝などを重ねた末、経営が破綻して石川県へ夜逃げする羽目となった。
 収入がなくなった松永はたった1人残った従業員に、母親に金を無心することを強要。しかし約3ヶ月後、その送金も途絶え、虐待に耐えかねた従業員は逃走した。
 しかし松永がこの会社経営その他詐欺行為によって得た利益は、一億八千万にものぼるという。
 1993年、純子は第一子を出産。しかし相変わらず収入はなく、松永は結婚詐欺を思いついた。ターゲットにされたのは、松永がまだ羽振りが良かった頃交際していた女性だが、当時すでに結婚して子供(3つ子)もいた。
 松永は彼女を口説き落とし、
「離婚して俺のところへ来い、子供のことも俺が引き受ける」
 と言いくるめて、彼女に家出をさせた。そして北九州市小倉のマンションを、彼女名義で賃貸契約させている。純子のことは姉として紹介した。
 彼女は貯金のすべてを松永に吸い取られ、前夫からもらう月々の養育費まで奪い取られ、親にも金の無心をさせられるなどして、合計1000万円以上を搾り取られた。なお金蔓としての価値がなくなった頃、彼女と子供のうち一人は不審死をとげている。
 一連の事件発覚後、この死と松永との関連が浮かび上がったようだが、残念ながら事件性が立証されぬまま捜査は打ち切られたようである。