「でっちあげ」と言われる理由と主張
メモの信憑性への疑問
私的メモの性格:富田メモは公式な公文書ではなく、富田朝彦個人の手書きメモであり、作成経緯や保管状況が不明確です。批判者は、メモが個人的な見解や後付けの創作である可能性を指摘し、昭和天皇の発言を直接裏付ける他の公式記録がないことを問題視します。
文脈の曖昧さ:メモは断片的で、天皇の発言の背景や正確な状況(いつ、どこで、どのような文脈で話したか)が明確でない。これにより、発言が誇張や誤解に基づくものだと主張する声があります。
政治的意図の疑い
反靖国勢力の利用:保守派の一部は、富田メモが靖国参拝を批判する勢力(特に左派や中国・韓国など近隣諸国の政府)によって利用されたと主張します。メモの公開が、靖国問題を巡る政治的議論を再燃させるタイミング(2006年、小泉純一郎首相の靖国参拝問題が過熱していた時期)と重なったため、意図的な「でっちあげ」や「政治的操作」と見なす声があります。
メディアの関与:メモを報じた日本経済新聞に対し、保守派は「リベラル寄りのメディアが天皇を利用して靖国参拝を否定する意図があった」と批判。メモの公開が特定のイデオロギーを押し出すための捏造だと主張する者もいます。
昭和天皇の行動との矛盾
参拝の継続性:昭和天皇は1975年まで靖国神社に参拝しており、A級戦犯合祀(1978年)以前にも参拝が途絶えていた時期がある。批判者は、合祀だけが参拝停止の理由とは考えにくいと主張し、メモが天皇の真意を単純化しすぎていると見なします。
他の要因の可能性:参拝停止の理由として、政教分離原則、国際的批判(特に中国・韓国からの反発)、高齢化による健康問題など、A級戦犯合祀以外の要因が影響した可能性がある。メモが合祀だけを強調するのは不自然だと主張される。
富田朝彦の信頼性への疑問
個人的動機:富田朝彦がメモを作成した動機が不明で、自身の政治的立場や後世への影響を意図した可能性があると疑う声があります。富田が宮内庁長官として天皇と近い立場にあったため、メモに創作や誇張を加えた可能性を指摘する批判者もいます。
他の側近との不一致:他の宮内庁関係者や天皇の側近からの証言で、富田メモと同等の内容を裏付ける明確な記録が少ない。保守派は、富田一人の証言に頼るのは危険だと主張します。
靖国神社の立場
靖国神社側は、A級戦犯合祀は戦没者慰霊の一環であり、問題ないとする立場です。富田メモが天皇の不快感を強調することで、合祀の正当性を損なうと受け止める関係者もおり、メモ自体を「でっちあげ」として否定する動機があります。
反論:富田メモの信憑性を支持する見方
一方で、富田メモが本物であり、昭和天皇の真意を反映しているとする見解も多く、以下のような点が挙げられます:
富田の立場:富田朝彦は1969年から1988年まで宮内庁長官を務め、昭和天皇と直接対話する機会が多かった。メモは私的記録だが、その立場から天皇の発言を正確に記録した可能性が高い。
他の資料との一致:富田メモの内容は、昭和天皇の側近(例:徳川義寛侍従長の日記)や他の歴史資料で、天皇が戦争責任や軍部に複雑な感情を抱いていたことを示唆する記述と部分的に一致します。
歴史的文脈:A級戦犯合祀(1978年)後に昭和天皇が靖国参拝を完全に停止した事実は、メモの内容を裏付ける間接的証拠とされる。1975年の参拝を最後に、1989年の崩御まで参拝がなかったのは、合祀への不快感が一因との解釈が有力。
学術的評価:多くの歴史家(例:山田朗、吉田裕など)は、富田メモを重要な史料として扱い、でっちあげとする証拠が乏しいと指摘。メモの筆跡鑑定や富田家の保管状況からも、偽造の可能性は低いとされる。
「でっちあげ」説の評価
証拠の乏しさ:富田メモがでっちあげだと主張する側は、具体的な偽造の証拠(例:筆跡の不一致、矛盾する公式記録)を提示できていない。批判の多くは推測や政治的動機に基づく。
政治的背景:でっちあげ説は、靖国参拝を正当化したい保守派や、A級戦犯の名誉回復を求めるグループのイデオロギー的動機に影響されている可能性がある。これに対し、メモを支持する側も、靖国参拝反対の政治的意図を持つ場合があり、議論はしばしばイデオロギー対立に終始する。
学術的コン:歴史学者の間では、富田メモを完全に否定する見解は少数派。メモの信憑性を疑う声はあるが、「でっちあげ」と断定するには根拠が不足しているとの見方が一般的。