前にもあったが どうしたのだろう
中曽根の靖国参拝もあったが
藤尾(文相)の発言。
=奥野は藤尾と違うと思うがバランス感覚の事と思う、単純な復古ではないとも。

私は或る時に、A級が合祀され
その上 松岡、白取までもが
筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
松平の子の今の宮司がどう考えたのか
易々と
松平は平和に強い考えがあったと思うのに
親の心子知らずと思っている
だから 私あれ以来参拝していない
それが私の心だ
日本経済新聞社は2006年5月[1]にメモを遺族から入手し、日本史研究家である秦郁彦・半藤一利の両人に分析を依頼した。『日本経済新聞』2006年7月20日朝刊第1面トップで「昭和天皇、A級戦犯靖国合祀に不快感」という見出しでメモの内容を報じるとともに、メモの写真の一部を公開した(経済関連の重要ニュースを通常一面トップを基本とする同社では異例の対応であった)。その中で、昭和天皇が第二次世界大戦のA級戦犯の靖国神社への合祀に強い不快感を示したという内容が注目された。各報道機関・番組も、この記事を大きく報道した。



また、同記事では長男の証言による筑波藤麿の言葉を紹介している。

B、C級戦犯は被害者なのでまつるが、A級は戦争責任者なので後回しだ。自分が生きてるうちは合祀はないだろう。
また、長男は「父からは天皇の気持ちについては聞いたことはない」とも語っていたと報じた(「後回し」の理由については「宮内庁の関係だ」と筑波がはっきりと言ったと元靖国神社広報課長の馬場久夫は証言している。馬場は「当時は何のことだか分からなかったが、『天皇のお気持ち』の意味だと考えると、なるほどと思う」とも話している[2])。