1877年北海道大学での任期を終え「青年よ大志を抱け」の言葉を遺しアメリカに帰国したクラークは、地元でも自分の理想とする大学創設を目指した。

しかし、必要な資金を集めることができず挫折。生活費にも事欠くようになってしまった。