ウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark、1826年7月31日 - 1886年3月9日)は、アメリカ人の教育者。化学、植物学、動物学の教師。農学教育のリーダー。
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先生はそれだけではなく、こんな事実まで教えてくれた。
【補足トリビア】
①クラーク博士は1826年7月31日、米マサチューセッツ州生まれ。大学時代は全米の優等生の一人に選ばれるほど優秀で社交的で誰からも好かれる人物だった。
②1876年7月に札幌農学校の初代教頭として招かれ、農学とキリスト教を教えたが、わずか8ヶ月で帰国。帰国後クラーク・ボスウェル社を設立し鉱山経営へ乗り出すが、1年半で倒産。負債額は現在の179万ドル(約2億円)にのぼった。
【高橋語録】
赤坂あたりではきちんと指名しないとサギみたいな人が出てきます。
帰国後はマサチューセッツ農科大学の学長を辞め、洋上大学の開学を構想するが資金が集まらず頓挫、生活費に困るようになっていたときに出資者を募って知人と共に鉱山会社「クラーク・ボスウェル社」を設立して7つの鉱山を買収、当初は大きな利益を上げたが、その知人が横領を繰り返し、果てに逃亡、設立から1年半で破産、負債は179万ドルだった。
銀鉱山会社を営みます。最初は順調でしたが、知人の横領によって次第に経営が悪化し倒産します。加えて、叔父からは破産をめぐる訴訟を起こされ敗訴しています。
お金にまつわる問題が多かったことから、人々から「詐欺師」と言われてしまいました。
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