1960年(昭和35年)に4人兄弟の末っ子として生まれる[4]。剣道7段の腕前を持つ父親[6]の影響もあり、小学4年生から剣道を習っていた[7][8]。演じることに触発されたのは中学2年生の頃。友人が文化祭で菊池寛の戯曲「父帰る」の娘役として舞台に立ったのを観たことがキッカケである[8]。進学した福岡県立八女高等学校在学時には演劇部に所属、部長として九州大会に進出[9][10]。芝居の虜になっていたことから上京して女優になる夢を持つも、音楽教師になろうと考えていた[10]。

高校卒業後は熊本県の音楽大学への進学が決まっていた[注釈 1] が[11]、故郷の福岡で宝塚の「ベルサイユのばら」の地方公演を見たことで憧れていたこともあり[12][11]、記念受験として宝塚音楽学校を両親に内緒で受験しようとしてバレエに1週間通う[9][11]。試験日は希望の音大入学が決まったその1週間後だった[10]。面接では筑後弁訛り一辺倒になった挙句、受験理由を尋ねられた際には「松竹歌劇団(宝塚歌劇団とはライバル関係にあった)でもよかったんですけどね」と発言したにもかかわらず、倍率22.4倍の難関をくぐり合格[9]、1979年4月に宝塚音楽学校に入学[1]。