黒木 瞳(くろき ひとみ、1960年(昭和35年)10月5日 - )
日本の女優、タレント、司会者、歌手、映画監督。元宝塚歌劇団月組トップ娘役。所属事務所は2011年10月11日よりポエムカンパニーリミテッド[3]。
福岡県八女市(旧・八女郡)黒木町出身。 出身地・黒木町(くろぎまち)に因み[4]同郷の五木寛之(八女市出身)が「黒木瞳」と命名[5]。
1960年(昭和35年)に4人兄弟の末っ子として生まれる[4]。剣道7段の腕前を持つ父親[6]の影響もあり、小学4年生から剣道を習っていた[7][8]。演じることに触発されたのは中学2年生の頃。友人が文化祭で菊池寛の戯曲「父帰る」の娘役として舞台に立ったのを観たことがキッカケである[8]。進学した福岡県立八女高等学校在学時には演劇部に所属、部長として九州大会に進出[9][10]。芝居の虜になっていたことから上京して女優になる夢を持つも、音楽教師になろうと考えていた[10]。
高校卒業後は熊本県の音楽大学への進学が決まっていた[注釈 1] が[11]、故郷の福岡で宝塚の「ベルサイユのばら」の地方公演を見たことで憧れていたこともあり[12][11]、記念受験として宝塚音楽学校を両親に内緒で受験しようとしてバレエに1週間通う[9][11]。試験日は希望の音大入学が決まったその1週間後だった[10]。面接では筑後弁訛り一辺倒になった挙句、受験理由を尋ねられた際には「松竹歌劇団(宝塚歌劇団とはライバル関係にあった)でもよかったんですけどね」と発言したにもかかわらず、倍率22.4倍の難関をくぐり合格[9]、1979年4月に宝塚音楽学校に入学[1]。
1981年、宝塚歌劇団に月組の娘役として入団。入団時の成績は39人中3位[13]。『宝塚春の踊り』で初舞台を踏んだ。67期生には女優の北原遥子、涼風真世、真矢みき、演劇プロデューサー、活弁士、日本舞踊講師の幸風イレネ、梨花ますみがいる。
同年5月18日[13]に月組配属。
1982年1月より『おはよう朝日です・土曜日です』(朝日放送)にレギュラー出演し、司会、レポーターなどもこなした。在団中に東宝映画『南十字星』(1982年)に出演。これが映画初出演作品である。
男役・娘役通じて史上最速となる入団2年目で、大地真央の相手役として『情熱のバルセロナ』でトップに就任。研2でのトップ就任については、小顔で男役としては細身だった大地が同じような体格で度胸ある番組進行をこなしていた黒木に着目し、相手役にしたいと申し出たという[14]。また、当時の月組トップであり副組長も兼任していた榛名由梨も黒木を高く買い、67期生の初舞台公演中に「黒木さんを月組にもらいたい」と言ったというエピソードがある[15]。
『あしびきの山の雫に』『シブーレット』『ムーンライト・ロマンス』『翔んでアラビアンナイト』『ザ・レビューII』『ガイズ&ドールズ』などに出演し、在団中は娘役でありながら大地に迫るほどの人気を獲得した。1985年9月1日[13]、『二都物語/ヒート・ウエーブ』東京公演千秋楽を最後に大地と同時退団し、芸能界へと転進した。
映画主演デビュー作、東陽一監督『化身』(1986年公開)では全裸となり、宝塚の歴史を貶めたなどの非難もあった[要出典]が、日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞するなど演技では一定の評価を得た[1]。その後、サスペンスドラマなどを中心に活動を続けていたが、1997年公開の森田芳光監督の映画『失楽園』で不倫の恋を大胆に演じて大きな話題に[1]。原作とともに社会現象となったこの作品で知名度を一気に高め、活躍の場が広がっていった。『化身』『失楽園』の原作者である渡辺淳一とは深い仲であったとされ[1]、他にも渡辺原作作品『うたかた』『無影燈』に出演している。
黒木瞳の性格極悪説 ③ファン・目下の人を無視
黒木瞳さんは、プライベートでも性格の悪さが出ているといいます( ゚Д゚)
娘の学校で、ファンが話しかけてきても、無視( ゚Д゚)
また、撮影開始まで楽屋にこもりきりになり、出てきたと思ったら、目下のスタッフには、目もくれないという態度なのだというのです。
しかし、それが局の上層部の人となると、人が変わったようにに、こやかになるという目撃証言もあります( ゚Д゚)
黒木瞳の性格極悪説 ④マネージャーをすぐに解雇
黒木瞳さんは、気に入らないことがあると、マネージャーや付き人をすぐに解雇するという噂もあります!
ドラマの収録の合間に、黒木瞳さんがタバコをふかす仕草をすると、すぐに付き人は火を付けなかればいけないのだとか。
ですが、そのタイミングが狂うと、黒木瞳さんは機嫌が悪くなり、付き人をクビにするというのです!
その現場を見た人からは「冷酷だ」と思われているようです(-_-;)
黒木瞳の性格極悪説 ⑧枕営業の噂
黒木瞳さんは、女優志望の若い女性に、
「あなた、役をもらうためにジジイと寝る覚悟あるの?」
と聞いたとか( ゚Д゚)
芸能界の深い闇を見たような発言ですが、黒木瞳さんもそんな思いをしたということでしょうか?
今の地位をつかむためには並大抵の努力ではなかったのかもしれませんね。。。
調べたところ、良い性格という情報はありませんでした
しかし、噂通りの悪い性格であるかといえば、それも信憑性に欠けるものがあります!
ファンを無視したという話も、プライベートな時間までいちいちファンににこやかに挨拶して握手するのも大変なことです。
その辺は大目に見てあげたいですね♪
黒木瞳さんが、性格が悪いと話題になるのは、すべてのことにあまりにもストイックなことが関係しているのかもしれません。
あるいは言いたいことを口にしないと我慢できない性格なのかも。
そんな性格が災いして、性格が悪いと勘違いされてしまったのかもしれません!
本当の黒木瞳さんは、良い性格の女性だと信じたいですね♪
若い頃は二枚目俳優として兄と共に芸能界で活躍した岡田真澄さん。プライベートや女性関係も華やかな事で知られる岡田真澄と現在では大女優としてその地位を確立した黒木瞳が若い頃フォーカスされていたそう...
「黒木は己の容姿を頼りに、芸能界でのし上がるための足場をこしらえたともっぱらの噂でした。部屋で岡田さんが口にしていた『ショーコ』という名前も黒木の本名である『昭子』。不貞の真偽は不明ですが、岡田さんは妻帯者であったことから不倫が疑われたのです。記事が出た後、黒木は『岡田さんには仕事やプライベートなことで相談にのってもらっている』と釈明し、『明け方まで話しこんでしまって』と不倫を否定していました」(前出・同)
黒木は同年公開の映画『化身』で初主演に抜擢され、全裸を披露。“宝塚の名を汚した”などと批判の声もあったが、その後の活躍はご存じの通りだ。
その後、2人の進展はないとみられ、黒木は1990年に一般人男性と結婚。98年に長女の出産を公表した。
このスキャンダルが黒木の知名度を上げるきっかけとなったが、もし電話口の女性が黒木だったとしたら、大したタマとしか言いようがない。
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