1960年代後半、ヨルダンに拠点を置いていたパレスチナ解放機構(PLO)の過激な行動に手を焼いた同国のフセイン1世国王は、1970年9月に発生したPFLP旅客機同時ハイジャック事件を契機に、PLO及び傘下の急進派・パレスチナ解放人民戦線の武力追放を決定。ここにヨルダン内戦が勃発する。「黒い九月事件」とも呼ばれるこの内戦で、PLOは多くのメンバーを殺され、追われる形でレバノンのベイルートに拠点を移すことになった。PLOの衝撃は大きく、フセイン国王の行為を裏切りとして強く反発した。

その後、レバノンで活動を始めたPLOの最大派閥ファタハは、対イスラエル闘争の行き詰まりから、過激な活動を行うための秘密テロ組織を結成した。これが「黒い九月」(ブラックセプテンバー)である。
黒い九月の存在は、ミュンヘンオリンピック事件で一気に知れ渡り、イスラエル選手とコーチが殺害された事件はイスラエルに大きな衝撃を与えた。イスラエル諜報特務庁はこの報復として黒い九月関係者の多くを暗殺している。組織自体はファタハとの関係が明るみに出るや否や解散した。